気がつけば、今日も一日が終わりに差し掛かっている。今日は午前中から曇りがちな天気であり、一日を通じて気温が低かった。
つい昨日までは暖かい日が続いていたのだが、また長袖長ズボンの格好をして室内で過ごすことになった。どうやら明日も今日と同じような気温のようである。
今朝方、過去の自分の曲を聴きながら、ある一つの対象には多くの神秘が宿っていることに気づかされた。「一粒の砂に宇宙を見る」と言われるように、どうやら内外世界における諸々の現象には、認識の階層が存在しているようだ。
つまり、ある対象に注意を巡らし、何か一つの真実を発見したと思ったら、すぐさま次の神秘が私たちの目の前に開示されるということである。開示された神秘に気づくかどうかは大切な点であり、もしかすると私たちはすぐ目の前にあるその神秘に気づかないかもしれない。
一つの真実が開示された後、なお一層のことその対象と注意深く向き合う必要がある。そのようなことを考えていると、ますますシュタイナーやブラヴァツキーの書籍を読む必要があるように思えてくる。
改めてシュタイナーの書籍について調べてみると、シュタイナーの芸術論は強く私の関心を引くことがわかった。音楽や色彩に関するシュタイナーの思想は大変興味深く、一昨日フローニンゲンの街の古書店で購入した書籍に加え、もう数冊ほどシュタイナーの書籍を購入しようと思う。
とりわけ今回は、シュタイナーの芸術思想に関する書籍に焦点を当て、入手できる限りの書籍を一旦ほぼ全て購入しようと思う。
芸術教育については幼少期のみならず、成人期においても極めて重要であると最近実感している。どうやらこれが現在の私の主題らしい。
成人の芸術教育。ここではどれほど現代社会の成人が芸術的な感性を未開発かについて詳しくは論じない。だが、芸術的な感性が未開発であることが、どうやら現代人の不幸や悲劇と密接につながっているように思えるということだけを今は書き留めておく。
成人の芸術教育についてさらに理解を深めるために、シュタイナーの書籍を参考にする。シュタイナーの書籍はおそらく幼少期に焦点を当て、芸術的感性の開発方法とその注意点について記述しているだろう。
シュタイナーの書籍に合わせて、昨日購入した美学関連の書籍を読み込むことによって、成人期の芸術教育の輪郭について明らかにしていこうと思う。その輪郭が明瞭なものになれば、成人の芸術的感性の開発に関する具体的な方策を考えていく。
今私が博士課程で探究したいと思うテーマはこれなのかもしれない。成人の芸術的感性の発達。それについて自分がどれだけ切実な関心を持っているかを把握し、そしてどのような論文を執筆していくかについてこれから考えを深めていく。
そのためには、これからしばらく芸術教育および美学に関する書籍を大量に読み進めていく必要があるだろう。この夏に最も楽しみにしていることはこのテーマの探究だ。フローニンゲン:2018/5/17(木)21:16