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2556. サティとスクリャービン


今日は昼食後に知人の方とオンラインミーティングを行い、その後諸々の調べ物をしていたため、今日はまだ作曲実践をしていない。先ほど夕食を摂りながら、音として日記を綴れるようになるまでの道のりについて考えていた。

それは長い道のりであり、気の遠くなるような長さかもしれない。そうした長い道のりを毎日一歩だけ前に進めるように尽力しているのが日々の自分の姿だろう。

目の前の街路樹が夕方のそよ風に揺れるとき、そのそよ風の強さと昨日の風の強さの違いを音で描き分けたい。同様に、異なる風の強さで揺れる葉の揺らめきの差異を音として表現したい。

今見えている現実世界とは全く異なる世界を知覚した時に内側に喚起される諸々の感覚の一つ一つを音として表現したい。すなわち、その瞬間に生起する内外の現象の固有の差異を明確に音で描き分けたいのである。

そのような技術的境地に至るには気の遠くなるような時間と膨大な実践量が必要になるだろう。だが、そこに向かっていくことに関するためらいは一切ない。

作曲に関する小さな知識と技術を毎日わずかばかりでいいので深めていくこと。小さな差異はやがて巨大な建築物として姿を表す。

夕方に調べ物をしている最中、スクリャービンが考案した「神秘和音」というものに関心を持った。すかさずその和音の構成要素を作曲ノートにメモをした。

実験的に近々この和音を活用した曲を作ってみようと思う。調べ物に合わせて、スクリャービンの全てのピアノ曲の楽譜を手元に置いておくため、二冊に分けて楽譜を購入した。

同時に、以前から関心のあったサティの楽譜も購入した。残念ながら、サティに関しては彼の国籍があるフランスのアマゾンで楽譜を探したが、全ての曲が収められたものはなかった。そのため、入手できるものの中で一番網羅性が高い楽譜を購入した。

実は以前、フローニンゲンの街の中心部にある古書店で音楽関係の書籍を探している時、別のコーナーに置かれていた神智学に関する書籍がいくつか目に付いた。中でも、ヘレナ・ブラヴァツキーの自伝か何かに目が止まり、中身をパラパラと確認した。

その時は、その書籍を購入することはしなかった。というのも、神智学を含め、意識の形而上学的な探究に熱を上げる時期は、ジョン・エフ・ケネディ大学に留学していた時を頂点に、それ以降は関心が薄れていたからである。

だが、以前に古書店を訪れた時にそれらの書籍を手に取って眺めていた自分がいたことを考えると、未だにそうした領域への関心は途絶えてないのかもしれないと思った。むしろ、今回サティやスクリャービンの楽譜を購入したことにより、ある種神秘主義的な思想と密接に関わった意識の形而上学に再び関心を持ち始めている自分がいるように思える。

そうした世界観を自分の曲に取り込めないか、そしてそうした世界観を曲として表現できないかに強い関心が芽生えてきた。これはまさしくサティやスクリャービンが辿った道に近いかもしれない。

ちょうど来週の月曜日に街の中心部に出かける用事があるので、その足で古書店に立ち寄り、改めて今の自分の関心に合致した古書があれば、それを購入したいと思う。思想的探究にせよ、作曲実践にせよ、また新しい方向に自分が向かっているのを感じる。

毎日小さく一歩を歩むというのは、こうした変化の連続なのだろう。フローニンゲン:2018/5/12(土)19:56

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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