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2553. 緩やかな歩み


今日は早朝の五時半に起床し、六時前から一日の活動を開始させた。今日は土曜日ということもあり、辺りはとても静かだ。

書斎の窓から見える街路樹がそよ風に揺られている。その揺らぎを眺めることは心地よい。

一羽の小鳥が少し遠い場所で鳴いている声が聞こえてくる。休日初日の土曜日の始まりはとても静かだ。

昨日は論文の加筆修正を行っていた。先週の半ばに行われた二人の博士とのミーティングの内容をもとに、論文を少しばかり執筆していたのが昨日である。

昨日は論文の加筆修正をほどほどに、その他の時間は自分の関心に赴く形で随分と多くの論文を読み進めていた。当初の予定では、今日も論文を加筆修正していこうと思っていたが、自分の内側の熱を見ていると、今日も自分の関心に基づいた読書を行っていくことが賢明のように思えてくる。

自分の論文の執筆に関しては焦る必要はなく、明日は今日よりもまとまった時間が取れるため、論文の執筆に集中して取り掛かるのは明日の方がいいかもしれない。今日のこれからの様子を見て、そのあたりの判断をしようと思う。

昨日も相変わらず諸々のことについて振り返りや考察を行い、それらを日記に書き留めていたように思う。実際のところ、昨日日記を多く書いていたように思っていながらも、随分と書き漏れていたことがあることに気づく。

昨日は、以前私がお世話になっていたレクティカの設立者であるセオ・ドーソン博士の論文を改めて読んでいた。いくつも印象に残っていることがあるが、改めて成人期以降の発達というものは緩やかに進んで行くことに気づかされる。

レクティカの測定手法が活用しているカート・フィッシャーのダイナミックスキル理論におけるレベル尺度をもとにすれば、私たち成人は、一年から一年半をかけて0.1から0.15ほどしか成長を果たすことができない。

その成長率は、学習・実践と内省が伴った場合であり、それらがなければ成長率はもっと低くなる——全く成長しない場合も当然起こる。レクティカが持つ膨大な実証データからそうした結果が明らかになっているのを見ると、つくづく成人の発達というのはゆっくりとしか進行していかないのだということがわかる。

直面する課題の高度化に伴い、そこで獲得されるべき能力は必然的に高度化していくが、高度な能力を獲得することを要求されればされるほど、その習得には時間がかかる。昨日は、とりわけ自分が発達理論という領域に限定した場合に、どのような能力レベルから探究を開始し、現在はどのような能力レベルに位置しているのかを考えていた。

この七年間の確かな歩みと緩やかな歩み。これからもその歩みは確かなものとしてゆっくりと進んで行く。

今日の空はライトブルーを帯びており、昨日の早朝とは異なり、柔らかそうな雲が僅かばかり空に浮かんでいるだけである。今日ものどかな春の一日になりそうだ。フローニンゲン:2018/5/12(土)06:17

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