小雨が降り止み、雨雲が足音を立てずにどこかに消え去った。今は雨を降らすことのないような薄い雲が空を覆っている。
近くから小鳥のさえずりが聞こえて来る。書斎の窓を開けていると、新鮮な空気のみならず、自然がもたらす様々な音が部屋に入ってくる。
そうした諸々の音に意識を向けていると、今朝方の夢について思い出した。夢の細部については思い出すことができないが、一つ印象に残っている場面がある。
夢の中で私は、画廊を経営する友人のところを訪れ、そこで絵画についてあれこれと話を伺っていた。そこには私だけではなく、その友人の知り合いも何人かいた。
私以外全ての人物は西洋人であり、最初私たちは英語を用いて会話をしていた。友人が私たちを別室に案内し、そこには完成した絵のみならず、名前のわからない画家の作りかけの作品などが置かれていた。
友人が一つの作品にかかっている白い布を外し、私たちのためにその絵について説明を始めてくれた。私の隣にいた若くて小柄なドイツ人がためらいがちにオランダ語を話し始めた。
すると、私の友人もオランダ語を話し始め、そこからは場の全員がオランダ語を話し始めた。私はオランダ語を十分に習得していないため、そこでの会話に入ることは難しかった。
なぜ隣にいたドイツ人は突然英語からオランダ語に切り替えて話し始めたのか、またその場にいた他の全員がそれに合わせるようにしてオランダ語を話し始めたのはなぜなのかを疑問に思っているところで夢の場面が変わった。そのような夢のシーンを覚えている。
その他の場面については記憶が断片的になっているが、一つ重要な気づきが夢の中で得られたことを覚えている。残念ながらその気づきも言葉にすることはできないのだが、非常に大切な気づきが自分の身体の中を駆け抜けた感覚だけは今も覚えている。
重要な気づきというのはもしかすると、私たちが気づかないところですでに私たちの内側を過去に通ったことがあり、その気づきの再来、もしくはその気づきが何度か訪れることによって初めて、私たちはそれが重要な気づきであると認識するのかもしれない。
これはある種の気づきの回路というものが私たちの中に備わっていることを示唆しているように思う。気づきというのは絶えず生じているものでありながら、それを気づきとして認識できるまでにはどうやら時間がかかるらしい。
そうであれば、今朝方の夢の中で触れることができた気づきというのは、これからその回路を太くしていくのかもしれない。今朝方の夢を振り返りながらそのようなことを思う。フローニンゲン:2018/5/10(木)07:41
No.1012: A Call of Spiritual Wind
A cold and spiritual wind blows in the world.
A couple of days ago, I heard from my friend that the ambience of Pyongyang and Warsaw was similar. I can feel the cold and spiritual wind blowing in both cities. Groningen, 10:17, Friday, 6/8/2018