今朝は五時半に起床し、六時前から一日の活動をスタートさせた。夢によって四時あたりに一度目を覚ましたが、寝室を離れたのは五時半だった。
天気予報の通り、今日は昨日よりも気温が下がっている。一方で、予報よりも少し早く、今この瞬間には小雨が降っている。
昨日までの青空とは打って変わり、薄い雨雲が霧のように空を覆っている。これでは今日は朝日を拝むことはできそうにない。
もうすっかりと青々と茂った街路樹を眺めてみると、晴天でないのにもかかわらず、どこか嬉しそうだ。雨というのは彼らにとってしてみれば天の恵みなのかもしれない。早朝から昼食時にかけて天の恵みである小雨が降り続けるようだ。
今日は午前中に協働プロジェクトに関するオンラインミーティングが一件ほど入っている。このミーティングが終わり次第、他のプロジェクトに関するレポートのドラフトを完成させたいと思う。
こちらのレポートに関しては数日間をかけて少しずつ取り掛かっていたものであり、ちょうど今日の仕事をもってドラフトの第一稿が完成するだろう。今日は現在取り掛かっている論文の執筆を行わない。
明日から三日間連続で論文の執筆に取り掛かる予定であり、今日はあえて論文から離れる。その代わりに、過去の日記を編集することにまずは力点を置きたい。
編集作業に取り掛かるのは午後からになるだろうか。この編集作業に並行して、まだ読み切っていない辻邦生先生のエッセー集『永遠の書架にたちて』の続きを読もうと思う。
昨日本書を読みながら、励ましを受ける文章や深く内省を促される文章といくつも出会った。今日もそうした文章と出会えることを期待する。
上記の事柄に加えて、今日も作曲実践を積極的に行っていく。昨日から、久しぶりにモーツァルトの曲に範を求めて曲を作り始めている。
しばらくモーツァルトの曲を参考にする日が続くかもしれない。昨日参考にしていたのは、モーツァルトが10歳の時に作ったものなのだが、改めてこうした曲を10歳の時にすでに作れたモーツァルトの能力には驚かされる。
モーツァルトの曲を参考にする中で、作曲家が作曲過程の中で感じていたであろうことを感じ取ろうとすることの大切さと、彼らが見えていたであろうことを見ようとすることの大切さに改めて気付く。
一体彼らには何が見えていて、何を感じていたのか。そして、それらのものをいかように曲という形で表現して行ったのかを探索していく必要がある。
表現内容と表現方法の双方に意識を向け、両方を自分の存在を通して把握していく。そうした意識のあり方を今日の作曲実践でも絶えず持っておきたいと思う。
書斎の窓を開けると、小鳥のさえずりが聞こえてきた。窓から書斎に吹き込んでくる風は涼しい。
空を見上げると、薄い雨雲がどこかに消え去っており、天気予報よりも早く晴れ間を覗かせる予感がしている。フローニンゲン:2018/5/10(木)06:18
No.1011: A Closed Iced Door
There is a closed iced door in front of us. We don’t know what kind of world is awaiting us behind the door.
What do you think about the world when we open the door? Groningen, 09:41, Thursday, 6/7/2018