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2541. 無知な善行に潜む暴力


夕食を摂り終え、日記を書こうとしている自分に気づいた瞬間に、日記の意義を再度自分の中で定義し直した。日記の持つ表現方法の多様性に改めて驚かされる。

そもそも日本の歴史を遡ってみれば、『更級日記』『和泉式部日記』のように、日記というものが文学的な価値を帯びる表現形式であったことに気づかされる。日々科学的な論文を読み書きすることや哲学的な論文を読み進める中で、学術論文が持つ価値と同様に、それが不可避に持つ表現の窮屈さを頻繁に感じる。

日記を書き進める中で徐々に見えてきたのは、日記というものはある意味文学的な、小説的な様相を持たせることも可能であるし、学術論文的な、あるいはそこまでいかなくても評論的な様相を持たせることができる。

それのみならず、詩的な世界を顕現させることも可能なのが日記という表現形式なのではないかということにはたと気づかされる。その背後には、人間の一生というものがそもそも真善美の統一体として営まれるものであるということが関係しているかもしれない。

一人の人間の一生、そして日々の一瞬一瞬には絶えず真善美が立ち現れており、それを全て汲みし得るのが日記という表現形式なのではないかと思い始めている。欧州での生活が一日一日と過ぎていく中で、その思いは強まっていく。日々日記を書き留める過程の中で、その思いは増す一方である。

今日は夕方まで気温が高い状態が続いた。おそらく夏の通常の時期以上に気温が高かったのではないかと思われる。夕方の七時半を過ぎた今は一転して、薄い雲が空を覆っており、気温が穏やかなものになっている。

今日の昼食後、あるプロジェクトでご一緒させていただいている協働者の方々とオンラインミーティングを行った。その中で、トランジションの時期における支援の重要性に関する話題となった。

私たちは人生を歩む中で様々なトランジションを経験する。就職、転職、結婚、出産など例を挙げればきりがない。

とりわけ今日のミーティングで話題に上がっていたように、発達段階を移行するというのは大きなトランジションである。トランジションの時期におけるケアと支援の欠落は、特に企業社会において顕著な現象に思えて仕方ない。

そうした状態の最中に、単純に成長を至上命題とする形で成人発達理論が企業社会の中に入り込むことには大きな危険性が内包されているように思う。仮に、ある人が一つの段階から次の段階に移行しようというときに、果たしてその移行をケアする枠組みや支援体制があるのだろうか。

私には、それらは圧倒的に不足しているように思えて仕方ない。そうした状態で成長を急かし、成長を至上命題とする形で発達理論の知見を活用しようとするのは、「無知な暴力」と形容していいようなものに思える。

関係者の方々の話によると、そうした無知な暴力は現実のものになりつつあることがわかる。発達現象に伴うトランジション期の揺れの過酷さとそのケアの重要性を改めて問いたいと思うのと同時に、無知な善行ほど途轍もない暴力になりうるということを再度認識しなければならないということを書き留めておきたい。フローニンゲン:2018/5/9(水)19:51

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