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2532. 豚の腹を叩く音


今朝は六時前に起床し、六時を少し過ぎたあたりで一日の活動を開始した。起床直後にまず取り掛かったのは、デッサンであった。

起床してすぐに浮かんできた内的感覚を絵として形にした。特に何か明確な目的があってこれを行なっているわけではないのだが、それをすることがすっかり朝の習慣になった。

逆に言えば、それをする必然性のようなものが自分の内側にある。そうした必然性が、内的感覚を外側に形にしようとする運動を始める。

改めてふと気づいたが、例えば朝の六時半から活動を開始した場合、少なくとも九時までは自分の創造活動に時間を充てようと思う。実はそれはすでに今までにも行われていたことなのだが、これからはなお一層それを意識しようと思う。

午前中の早い時間帯は、とにかく自分の創造活動に従事する。心身を一日の活動に向けてゆっくりと準備するかのように、自分の創造活動に静かに営む。そんな形で早朝の時間を過ごすのがいいだろう。

日記を書くというのはその実践の一つであり、作曲というのも今後その実践に加わるだろう。今は昼食後や午後の時間に作曲を行うことが多いが、これからは徐々に早朝の時間に曲を作ることができればと思う。

日が昇るのが早くなったせいか、それにしても現地人の活動の開始は早い。ちょうど今日は、目の前の通りの雑草を除去するために清掃員が六時半前にやってきて、早朝のこの時間帯から除草機の音を鳴らし始めた。

時刻は六時半を迎えたばかりであるため、心なしか除草機の音は控えめだ。この時間帯から働いている人がいるということに驚くと共に、その姿勢には感銘を受ける。

自分も早朝の仕事に励む必要がある。自分の仕事とは言うまでもなく、創造活動だ。絶えず、内側のものを外側に形として残していくこと。それが自分のライフワークだ。

今朝方見ていた夢について思い出す。夢の中で自分が大いに笑っており、それによって目覚めるような夢。

目が覚めか否かの時、夢の中だけではなく、ベッドの上にいる自分も声を上げて笑っているような夢だった。その笑いを引き起こしたのは、大学時代の先輩との些細なやりとりだった。

その方は大学時代の四年間を通じてお世話になった先輩であり、卒業後は、三年前に東京に一年間ほど住んでいた時に一度その先輩と昼食を共にした。今その先輩はニューヨークにいる。

オランダで生活を始めてからの夢の中で、その先輩が過去何回か現れているのはどこか不思議だ。何かしらの意味がそこにあるのだろう。

夢の中で笑っていた事柄はあまりに些細なことであった。自分のお腹を叩く音が豚か何かのお腹を叩くのと同じ音がするという気づきを得たことだった。それはその先輩に指摘されたものだったように思う。

夢の中でもう一つ印象に残っているのは、駅のプラットフォームのような場所に立っていると、二人の人間が乗れるような小さな乗り物が次から次へと駅構内にやってきたことだ。この駅はある大学のキャンパスの中にあり、その先輩曰く、それらの乗り物は理系の敷地内を走っているそうだ。

逆に言えば、文系の敷地内にはそのような乗り物はないということを暗示していた。私はその乗り物に乗って目的地に向かうのが良いのか一瞬ためらった。

そうしたためらいが生まれた時には、すでにその乗り物はプラットフォームから出発をしていた。そこで私は、頭の中でもう一度現在地から目的地までの地図を広げた。

飛行機で行くのか、電車で行くのか、バスで行くのか。それら三つの選択肢が私にはあった。

飛行機で行っても、電車とバスを乗り継いで行くのも大して時間は変わらないようであった。時間にしてわずか20分ほどである。そんな計算をしていると、夢の場面が変わった。

今朝方の夢について覚えているのはそれぐらいであろうか。とにかく、自分のお腹を叩く音と豚のお腹を叩く音が似ているというのは、とてもおかしな気づきであった。その気づきに対して夢の中でも、そしてベッドの上でも私は大笑いをしていた。フローニンゲン:2018/5/8(火)06:51

No.1009: A Walk in the Summer Sky

After I was immersed in the feeling that as if I were taking a walk in the summer sky, it started to become sunny in Groningen. Groningen, 11:00, Tuesday, 6/5/2018

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