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2518. 四年間の精進に向けて


今朝は六時過ぎに起床し、六時半から一日の活動を開始させた。風のない穏やかな土曜日が今始まろうとしている。

起床した六時頃は、ちょうど東の空に太陽が姿を現し始めた頃だった。今はその時よりもさらに明るくなり始めており、光が現れ始める最初の姿を捉えることができる。

この世界を照らす光がこれから徐々に強くなっていく。そんなことをふと考える。

昨日偶然に手に取った横山大観の画集から受けた衝撃を忘れることはできない。絵からもたらされるものと相まって、巻末に記載されていた大観の言葉一つ一つには本当に打たれるものがあった。

芸術というのはつくづく人間性の涵養を第一のものとするのであって、真の芸術というのは涵養された人間性から生み出されるものなのだ。芸術を通じた人間発達の探究の道が開かれ、芸術を通じた人間発達の支援の道が新たに開かれたような感覚を得た。

日々、創造的な活動に従事する中で、自らの人間性を養っていくのみならず、芸術の意義とそれがもたらすものについては本当に深く考えていかなければならない。今の私にはどこか、発達科学という科学を通じた探究以上に、芸術を通じた人間発達の探究に重要性を見出している。

両者が開示してくれるものとそれらがもたらすものにはそれぞれ固有の価値があるが、今は兎にも角にも芸術と人間発達に関心の矢が向かっている。この関心により強く自己を委ねようと思う。

今日は午前中に協働プロジェクトに関するミーティングが一件ほどある。今日は土曜日であるから、それ以外にミーティングは入っておらず、一日の大半は自分の探究活動に多くの時間を充てることができるだろう。

昨日に引き続き、過去の日記を編集すること、“A Philosophy of Emptiness (2014)”の続きを読むこと、協働執筆中の書籍の原稿をレビューすること、作曲実践を行うことに従事したい。

昨日は当初の予定通り、ベートーヴェンとバルトークに範を求めて曲を二つほど作った。今日は初めての試みになるが、昨日届いたドビュッシーの楽譜をもとに、ドビュッシーの曲に範を求めて作曲をしようと思う。

この数年間はとにかく型の習得に励む。手持ちの楽譜に掲載されている全ての曲を参考にしていくような数年間にしたい。自分の内的感覚に純粋に立脚し、何も参照せずに曲を作るようになるのは数年後からで十分である。

型の習得に激しく精進するのはとりあえず四年を目安にしよう。四年後から何も参照せずに曲が生み出せ始めたら、それは十分早いぐらいだ。

一日一曲ほど手持ちの楽譜に範を求めて曲を作っていけば、四年間で1500曲近くの曲を生み出すことができる。数としては全くもって少ないが、それでもその四年間の修練は大きな意味を持つだろう。

こうした実践を積み重ねて初めて、ようやく自分なりの作曲方法と音楽世界が見えてくるような気がしている。今日も大切な精進の一日となる。フローニンゲン:2018/5/5(土)06:51

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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