2516. ドビュッシーの楽譜と魂のダンス
- yoheikatowwp
- 2018年6月5日
- 読了時間: 3分

ランニングを終え、昼食を摂り終えてから少しばかり過去の日記を編集し、今日編集を行おうと思っていた全ての日記の編集を終えた。その後、イギリスの書店に注文していたドビュッシーの楽譜を先ほど受け取った。
厳密には、隣の家の方からそれを受け取った。私は本当に近所の人たちの世話になっていると思う。
特に郵便受けに入らない書籍を受け取る際は、常に近所の人が代わりに受け取ってくれている。日本ではあまり考えられないかもしれないが、オランダでは当人が不在の場合、近所の家に荷物が配達され、どの家に届けられたかがわかる不在票が郵便受けに入れられる。
私はいつも、右隣か左隣の家の人から荷物を受け取る。私は家にいることが多く、宅配の人が来た際に不在であることはあまりないのだが、諸事情によりいつも近所の人に郵便受けに入らない荷物を受け取ってもらうことになっている。
というのも、私は家の呼び鈴の音がダメなのだ。あのけたたましいブザー音を聞くたびにいつも驚いてしまい、心臓の脈拍が極度に変わることに気づいている。
そのため、この家で生活を始めてしばらくしてから呼び鈴が鳴らないような設定に変えた。そのため、私は家にいながらも荷物を受け取れないようになっている。
先ほど隣の家に行き、その家の主人から荷物を受け取った。まさにそれがドビュッシーの楽譜であった。
およそ500ページ弱の楽譜を先ほど全体を通して眺めてみた。すると、思っていた以上にドビュッシーの作品には外見上の複雑さがないことに気づいた。
想像していたよりも構造が簡潔な曲が多く、それでいて簡潔さに宿る独特の美を宿した曲が多いのだと直感的に分かった。ベートーヴェンのピアノソナタの多くの曲のように、範を求めづらいことはなく、明日からでもドビュッシーの曲を参考にし始めたいと思う。
近日中にリストの楽譜が何冊か届く。今回のドビュッシーの楽譜はピアノ曲全集であり、この一冊の中におそらくほぼ全てのドビュッシーのピアノ曲が収録されている。
一方、リストに関してはそのようなピアノ曲全集を見つけることができず、必然的に四冊ほどの楽譜を購入することになった。これらに関しては近日中にドイツから届けられることになるだろう。それらはできるだけ郵便受けに入って欲しいと願う。
数日前まで冷たい風が吹いていたが、先ほどランニングをして気づいたように、今日はほとんど風がない。今目の前に広がる、この晴天の青空をどのように形容したらいいだろうか。
言葉で表現することも、曲として表現することも、絵として表現することも今の自分にはままならない。そうしたもどかしさが創造活動にさらに駆り立てていく。またそうしたもどかしさを生んでくれるものこそが、この世界の複雑性であり、究極的な素晴らしさなのだと思う。
今の自分の内面はとても穏やかであり、それでいて力強い。一つ一つの生命が優しく、そして力強く躍動していることを感じさせてくれる春の雰囲気が、自分自身の生命の躍動に気付かさせてくれる。
生命が持つ魂には固有の弾みがあるようなのだ。一つ一つの魂が持つ内在的な弾性。無数の魂が今自分の目の前の世界に顕現し、それらがダンスを踊っている姿を見ることができる。フローニンゲン:2018/5/4(金)14:18