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2483. 上昇を希求する夢とデッサンの実践


二羽の鳥が西の空から東の空に向かって飛んで行く姿が目に入った。今日は風もなく、鳥たちにとっては空を飛びやすいだろう。

いや果たしてそうなのだろうか。鳥たちにとってはむしろ程よい風があったほうが空を飛びやすいのかもしれない。自己に揺らぎを起こすものが自己を前に進める運動に不可欠だということを思い出す。

先ほど、今朝方の夢を振り返っていたが、改めてその夢について考えてみると、いくつかの気づきが生まれた。その中でも特に、目が覚める直前に、私が会社を退職する決意をし、エレベーターに向かった姿が印象に残っている。

会社の上司に遭遇したのは一階であり、自分が向かおうとしていたのは七階あたりであった。両者の間に存在する階層の違いに私は注目をしていた。

一階のカフェで上司と話をした時、引き続き会社で働くことは一階に留まり続けることを意味しているように思えた。また、どうやら夢の中の私は、そうした「一階」で働くことによって心身の状態を崩していたようなのだ。

そのため私は、引き続き会社で働くこと、すなわち一階に留まり続けることに躊躇していたのだと思う。「また元気に働けそうね」という上司の言葉に対しても違和感を覚えたが、その言葉に対して自分が発した「ええ、そう思います・・・」という言葉にも大きな違和感があった。

実際に、その言葉が出てくるまでに一瞬空白があり、それを言い終えた後もなんとも言えない間があった。一方で、注目に値するのは、そこで私は上司に別れを告げ、元々の目的地に向かって歩みを進めたことだった。

一階に留まるのではなく、私はさらに上の階に向かって進んでいくために新たな一歩を踏み出していた。そうした姿を眺めてみると、この夢は上昇を希求する夢だと述べていいかもしれない。

こうした夢は過去にも何度か見ている。今いる場所に留まるのではなく、高みに向かって歩き始める夢の一つとして今朝の夢があるように思える。

夢の中の私が心身の状態を崩していたことが示唆しているのは、もしかしたらどこかに留まり続けることは私にとって望ましくないことなのかもしれないということだった。留まり続けることは心身の状態を崩すことにつながり、心身の状態を良好なものに保ち、さらに心身を育んでいくためには、そこに留まり続けていてはならないのである。そんなことを自分に教えてくれる夢だった。

この夢を見て起床してからすぐに、私はデッサンを行った。昨夜突如として新たな習慣にしようと思ったデッサンを今朝行ったのである。

このデッサンは、肉眼で捉えられたものを描くのではない。そうではなくて、心眼や魂眼で捉えられたものだけを描くことに主眼を当てている。

起床直後の特殊な意識状態の中で、私は数分間ほどデッサンを行った。昨夜にも気づいたが、描かれるものは大抵抽象的なシンボルだ。そのシンボルが何を意味しているのか私にも分からないことがある。

だが、そうしたシンボルが自分の意思空間の中に浮かび上がってきたのであるから、きっとそれは何か意味を持っているのだろう。また、そうしたものが実際に浮かび上がり、鉛筆で実際に描かれたことから、それはリアルなものだとも言える。

デッサンを行う意味や意義に関しては、これからこの習慣を継続させていくことによって徐々に明らかになっていくだろう。自分の中には、眠っている感覚や感性というものが無数に存在しており、それを開いていく試みの一つとしてデッサンの実践が生まれたのだと今は思う。フローニンゲン:2018/4/28(土)08:31

No.995:Serene Sunrise

The sunrise with a reddish purple color in this season is astonishingly beautiful.

Today began when I entered the sunrise and came out from its center. Groningen, 09:19, Wednesday, 5/23/2018

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