雲の流れがとても早い。うっすらとした雲の塊が西から東へと早い速度で動いている。
地上からでは分からないが、上空に吹いている風はとても強いのだろう。確かに地上においても、今日は昨日よりも風があるようだ。
だが、地上に吹く風よりも空に吹く風の方が遥かに激しいように思える。空に吹く風の速度を考えると、今日は天候がめまぐるしく変わりそうだという予感がする。今は雨が降っていなくても、午後から雨が降るという天気予報にもどこか納得できる。
今朝方の夢について日記を書き留めていた時、一度目が覚めた後に再度寝ていた時の夢についても少しばかり思い出した。具体的に夢の内容を思い出したというよりも、夢の中の断片的な映像を少しばかり思い出していた。
夢の中で私は、ベトナムで生活を送ろうとしていた。あるいは、すでに生活を送っていたのかもしれない。いずれにせよ、「ベトナム」という国が夢の中の私の意識を大きく占めていたことは間違いない。
その夢の中で私は、自分のノートに様々な走り書きをしていた。それは全てその場で思いついた自分の考えであり、それを後ほど日記として文章にしていく計画を持っているようだった。
夢の中の自分が書いていた文字を全て思い出すことはできないが、「深く生きること」と走り書きをしていたのを覚えている。その他にも一文でかなり多くのことをメモしていたように思う。
現実世界のみならず、夢の中でも何かを書き留めておこうという意思を自分が持っていることに気づく。今、このようにして日記を書いている自分を突き動かしているのは、そうした無意識の世界にある根源的な力なのかもしれない。
意識的な自己というよりも、無意識的な自己が絶えず自分を突き動かしている。意識的な自己の意思に基づくよりも、無意識的な自己の意思に基づく行為に従事していた方が強い充実感や幸福感を覚えるように思える。
地上に吹く風が激しくなってきた。目の前に見える芽が出始めた街路樹や青々と茂る木々が強風に揺られている。今朝は小鳥の鳴き声は聞こえてこない。
こうした風の強い日には、小鳥はどこかで身を潜めているのかもしれない。しかし、よくよく耳を澄ませてみると、どこからともなく小鳥の鳴き声が聞こえてきた。
小鳥はこのような風の強い日にあっても、私の目には見えないところで歌声を奏でているのだ。地上の風が強くても歌い続けるということ。小鳥たちのそうした姿勢に何か感じるものはないだろうか。
薄い雲の塊が東の空へどんどんと移動していくに応じて、晴れ間が見えてきた。今、太陽の光がフローニンゲンの街に強く差し込んできた。
風があり、雨があり、太陽の光があり、小鳥の鳴き声がありと、この世界は様々なもので満ち溢れている。フローニンゲン:2018/4/25(水)08:04