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2461. ある人間の個人史


時刻は夜の九時を過ぎた。しかし、この時間帯のフローニンゲンはまだ完全に闇に包まれているわけではない。

九時を過ぎてもまだ真っ暗ではないほどに日が延びたことに驚かされる。フローニンゲンに戻ってきてからの二日目も非常に充実した日であった。

てっきり今日は日曜日かと思ったが、今気づいてみると今日は月曜日だったのだ。確かに今日は早朝に、協働プロジェクトに関するオンラインミーティングを行なっており、平日だったのだということを今になって了解した。それほどまでに曜日の感覚というものが薄れていく。

一人の人間がある一つの街でその人なりの生き方を通じて日々を生きていくということ。私はそうした個人史を見聞きするのが好きだ。

同じ街で生きているにもかかわらず、こうも多様な生き方があるということに驚かされたことはないだろうか。私たちの日々はこうも多様であることに感動をしたことはないだろうか。

ワルシャワとブダペストを訪れた際にも、私はそれらの街で生活を営む人たちの多様な個人史に心を打たれた。すると、自分も独自の個人史を常に綴りながら日々を生きていることに気づいた。

なぜ自分がオランダ北部のこの街で日々生活を送っているのか、そしてなぜこの場所で三年ほど生活をすることになったのか、その深層的な意味は未だに謎に包まれている。

だが、一つ明確なことは、ここでの生活が間違いなく自分の個人史にとって欠くことのできない大切なものだということだ。いつかこの三年を振り返る日がきっと来るだろう。

この三年間、自分が毎日何を感じ、何を考えながら生きていたのか。それらは全てこの一連の日記に書き綴られている。私はこれからも日々を固有に生きた証として日記を書き留めていきたい。それは、自分という一人の人間がこの世界で生きた固有の個人史となる。

九時半を迎えようとしている今、辺りは限りなく暗くなった。そろそろ一日の仕事を終え、明日に向けて準備をする時間だ。

振り返ってみると、今日は早朝のオンラインミーティング後から論文の執筆に集中することができた。順調に文章を書き進めていくことができ、明日は朝から論文の執筆に取り掛かる。

明日はまず、論文の“Results”のセクションから取り掛かろうと思う。中欧旅行から戻ってきた翌日に完了したデータ分析の結果をこのセクションに盛り込んでいく。

その後、論文のセクションを少し戻る形で、“Method”と“Procedure”のセクションを書き進めていきたいと思う。明日の夜に論文アドバイザーのミヒャエル・ツショル教授に論文の最初のドラフトを送る。

最初のドラフトでは“Results”までに留め、最も思考を巡らせる“Discussion”のセクションは次回のドラフトの中に盛り込んでいく。明日も集中して論文を執筆することができるだろう。

日記にせよ、論文にせよ、そして作曲にせよ、創造行為がもたらすこの生命の躍動感、もしくは魂の歓喜にも似た感覚をどのように伝えることができるだろうか。仮にそれらを言葉として表現できなくても構わない。

重要なことは、それらの感覚を通じてこれからも絶えず創造行為に従事し続けるということだ。フローニンゲン:2018/4/23(月)21:33 

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