たった今、ブダペストに向けた飛行機が飛び立った。ワルシャワでの滞在を振り返ってみると、滞在期間中は天候に恵まれており、本当に幸運であった。
ワルシャワ・ショパン空港に到着し、しばらく経ってから雨が降り始めた。しかし今はもうワルシャワ上空に飛び立っており、この瞬間の私は雨雲の上にいる。雨雲の上空は、午前中の太陽で眩しく光り輝いている。
ワルシャワに滞在中の記憶を少し思い出す。ワルシャワを吹き抜ける春風を私は忘れることはないだろう。フローニンゲンで経験していた長い冬の終わりを告げるかのように、春の陽気に包まれたワルシャワでの体験が心の奥に静かに染み渡っていく。
ワルシャワ・ショパン空港のラウンジに着いてからは、過去の日記を編集したり、昨日購入した哲学書を読み進めていた。ワルシャワに出発する前日から書籍や論文をほとんど読んでいなかったためか、昨夜は書物を読むことに飢えているかのように、購入した哲学書を食い入るように読み進めていた。
ブダペストに向かう飛行機の搭乗時刻が近づき、搭乗ゲートで待っている間も昨日購入した哲学書を読んでいた。ユダヤ・ポーランド哲学に関する書籍を購入して本当に良かったと思う。200ページ強ほどの書籍であったが、昨日と今日にかけて一気に読み終えた。
中でもポーランドの教育哲学者Janusz Korczak (1878-1942)の教育思想に関する論文は二度ほど繰り返し読んだ。今年は欧州でもう一年ほど滞在することが可能になり、自由な探究時間が豊富にあるため、教育哲学に関する探究を旺盛に進めていこうと思う。
その際にこの論文はもう一度読み返すことになるかもしれないし、今後教育哲学に関する論文を執筆する際にはおそらく参考にすることになるだろう。
私の旅にはつくづく哲学と音楽が必要だと思った。音楽を絶えず聞き、哲学書を読み進める中で旅を行っていく。そこでまた新たな日記を執筆し、作曲を行っていく。
哲学と音楽に溢れた旅。そして、絶えず創造活動に従事するような旅。こうした旅を今後の人生でも行っていきたいと強く願う。
先ほど読み進めていた哲学書の一節に、ニーチェの洞察に溢れる指摘があった。翻訳すると、「私たちは自らの固有性に絶えず気づいていながらも、他者の意見に自らを覆い隠そうとする形で自己の固有性を外側に開こうとしない」という指摘である。
まさにこれは発達理論にも通じる考え方であり、同様のことを私は何度も形を変えてこの一連の日記で書き留めていたように思う。また、こうした個人の固有性が外側に開花してこなければ、集合的な文化も深まりようがないという指摘にも強くうなづける。
個人も文化もそれが真に発達をしていくためには、既存の自己を取り巻く他者からの圧力を乗り越えていく必要がある。それが実現されなければ、個人も文化も深まっていくことはないのである。
ワルシャワからブダペストまではフライト時間が短く、先ほど上空に飛び立ったかと思ったら、もうしばらくすると着陸に向けて準備が始まるだろう。いよいよ中欧旅行の後半がこれから始まる。ワルシャワ:2018/4/17(火)11:46