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2398. 作曲実践と多様な意識状態


昨日は、昼食後に作曲実践を行った。そこではベートーヴェンの曲に範を求めながら曲を作った。

数日前まではショパンの作品をいくつか参考にしながら曲を作っていた。作曲に取り組んでいる時の自分の意識状態や思考と感覚の有り様については、今後より観察を深めていきたいと思った。

というのも、今この瞬間までそのようなことに一切気を払っていなかった自分がいることに気づかされたからである。「そういえば自分は作曲中に何を考え、何を感じ、またどのような意識状態にあるのだろうか?」という問いが突然に浮上したことは、また何か私を一歩前に進めてくれるように思う。

それらの事柄を作曲実践の最中に行うことは難しいかもしれない。なぜなら、作曲実践の最中はある種の没入状態にあることも多く、そうした中でメタ認知的にリアルタイムでその瞬間の自己を捉えていくことは至難の技だからである。

もしかすると、メタ認知というのは没入状態では発揮されえない能力なのではないかと思う。もしかするとメタ認知にも次元があり、世間一般で言われる初期のメタ認知能力から始まり、今度は没入の最中でも発揮できるメタ認知能力が育まれていくのかもしれない。

今はまだそうした高度なメタ認知能力を私は獲得しておらず、対象への没入状態では全体との一体感が認知を勝る。今後はこうした全体との一体感の中でもメタ認知を発揮できるようになるのだろうか、という関心は尽きない。

いや、改めてこの主題について考えてみると、没入状態でメタ認知が発揮されるというのは、それは究極的なメタ認知ではないと思わされた。というのも、意識の状態特性に着目をしてみると、全てを絶えず目撃しているという究極的なメタ認知を発揮する観想的な意識状態の次には、目撃する自己と対象世界全体が一体となる非二元の意識状態が存在しているからだ。

そのように考えてみると、作曲実践の最中に仮に音楽世界と完全に同一化しているのであれば、それはある意味、観想的な意識状態ではなくて、非二元の意識状態が生み出す現象だと思うのだ。

そうなってくると、非二元の意識状態でメタ認知を働かせるというのはおかしな話に思えてくる。いかに究極的なメタ認知であろうとも、それが発揮された瞬間の意識の状態は観想的なものにならざるをえない。

そのようなことを考えていると、日々の私の意識状態はとても色彩に富んだものであるように思える。意識状態の研究者は数多くの状態特性を明らかにしているが、古典的な括りでいえば、グロス、サトル、コーザル、観想、非二元という五つの意識状態を私は日々行き来していることに気づく。

音楽を創造するという作曲実践は、音楽世界と自己を一体のものにしてくれ、私を非二元の意識状態にいざなう力を秘めている。おそらく作曲という創造行為は、全ての意識状態からなされうるものなのだろう。

グロスの意識で作曲をする日もあれば、観想の意識で作曲する日もある。また、サトルや非二元の意識で作曲する日もあるというように、日々異なる意識状態の中で曲が生み出されていく。

より正確には、一つの曲を作っている最中にも意識の状態は変わりうるのであるから、創造された一つの曲は実に多様な意識状態の産物である可能性もあることを忘れてはならない。

今日も昼食後に作曲実践を行う予定である。作曲過程の中で時に対象と没入しながらも、時に自らの意識状態を観察するような観点を持っておくと面白いかもしれない。

意識状態というのはつくづく奥深い現象であり、その現象を体験する人間存在はさらに奥深いと改めて思う。フローニンゲン:2018/4/10(火)07:14 

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