2375. 博士課程での研究に向けて
- yoheikatowwp
- 2018年4月26日
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七時を迎えてからようやく辺りが明るくなってきた。今日は薄っすらとした雨雲がフローニンゲンの上空を覆っている。
今この瞬間は雨が止んでいるようだが、インターン先のオフィスから帰ってくる頃からちょうど雨が降り始めるようだ。風も少しばかり強く、目の前の裸の街路樹がいつもより激しく左右に揺れている。
この時間帯でもすでに通勤や通学に出かける人たちの姿を通りに見かける。私もこれから一日の仕事を始めたい。
先ほど一日分のコーヒーを入れた時、再び作曲に関する研究について考えが及んだ。ここ最近の私は、本当に作曲について考えることが多く、その研究に強い情熱を注いでいるようだ。
今のところ、作曲は完全に自分の趣味となっているが、趣味と学術研究を結び合わせることができたらどれほど幸せかと思う。ここで述べている学術研究というのも、仕事の意識を持って行うのではなく、自らの純粋な探究心にのみに従う形で行われる研究だ。
それを行うためには、現在の学術世界ではなかなか難しいこともあるだろうが、自分の取るべき立場を絶えず明確にし、どのような立ち位置で大学に所属するかによってそれは十分に実現可能だろう。兎にも角にも、作曲技術という個別具体的な能力領域の発達プロセスとメカニズムが知りたくなってきた。
とりわけ、作曲理論に内包されている諸々の知識領域の理解力がどのようなプロセスとメカニズムで高まっていくのか、そしてそれらの理解力の高まりが具体的な作品の中にいかように発現していくのかということに強い関心がある。
もはやこのテーマを博士論文として取り上げてもいいのではないかと思い始めている。あと数か月後に、私は三つ目の修士号を取得することになる。
これまであえて博士課程に進学しなかった大きな理由は、四年や五年をかけて取り組みたいと思う射程と深さを持った研究テーマになかなか出会えなかったことだろう。しかし、今この瞬間、私は作曲技術を取り上げる研究であれば、これから四年や五年の歳月をかけて取り組みたいと心の底から思う。
四年や五年ではなく、もっと時間をかけてもいいぐらいだ。作曲技術の研究を発達科学、教育科学、複雑性科学の観点から行っている人間はこの世界にほとんどいないだろう。今のところ私の知る限り、それを行っている研究者は皆無だ。そうであれば、ここに私ができる貢献があるのではないかと思う。
新しい研究領域に大きく舵を切る日が近づいてきているのを感じる。それは来るべくしてやって来たのだと思う。
大学に所属しながら行う研究は、本当に自らが真に探究したいと思うことだけを探究するべきである。自分の内側の声以外の雑音には耳を傾けてはならない。純粋な探究心だけに立脚した研究を行い続けていく。
それこそが自分が静かに立てた誓いだったはずである。仮に四つ目の修士課程として、音楽教育と発達科学を架橋させることのできるプログラムに進学したとしても、博士課程に進む日は刻一刻と迫っている。
それは私にとって非常に喜ばしいことである。日本企業との協働プロジェクトを今後も行いながら、それに並行して純粋な探究心に基づく作曲技術の発達現象の探究に邁進していきたい。フローニンゲン:2018/4/5(木)07:33
No.950: Succession of Legacy
While staying in Central Europe, I was wondering about what if I integrate the essential qualities of all of great composers in the past.
I was fortunate to visit the Chopin museum, the List Museum, and Bartok museum. The visit encouraged me to learn their works as many as possible.
They composed a number of works, which are not only precious learning materials but also my “teachers.”
I cannot help but imagine the progress of my music composition from here. Amsterdam, 14:38, Saturday, 4/21/2018