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2356. 復活祭から一夜が明けて


今朝の目覚めはとても静かだった。昨日のように小鳥たちの大合唱が聞こえるわけでもなく、激しい夢によって起こされるわけでもなく、非常に静かな目覚めだった。

いつもより幾分長く睡眠時間を取り、六時半過ぎに今朝は起床した。確かに夢を見ていたと記憶しているのだが、夢の内容がもはや曖昧になってしまっている。

夢の内容を想起していると、一つだけある場面の記憶が蘇ってきた。私は欧州の現代的な街に宿泊をしていた。

メインとなる駅からすぐ近くのホテルに宿泊をし、その街の散策を行っていた。この街は現代的なのだが、高いビルのようなものはほとんど無い。

駅の目の前には大きな公園があり、そこにある噴水が印象に残っている。公園の周りを囲むかのように、いくつもの歴史ある建物が古さを感じさせない形で佇んでいる。どこかウィーンのような印象を与える街であった。

駅から近くのホテルに宿泊をしている最中、そこで高校時代の友人と米国の大学院時代の友人に出会った。前者は日本人であり、後者は米国人なのだが、なぜだか二人はドイツ語を話していた。

私が二人とすれ違うと、彼らは最初ドイツ語で私に挨拶をしてきた。私は片言のドイツ語で返答をしたが、そこからは彼らが「しまった」というような申し訳なさそうな顔をして英語に切り替えた。

彼らと別れ、ホテルの自室に向かおうとしていると、見知らぬ宿泊客の何人かがロビーにたむろしていた。ロビーの壁に寄りかかっている一人の女性が、「聞いた?ドイツ語を話す宿泊客がいるらしいわよ」と英語で述べているのを小耳に挟んだ。

それを聞いたとき、私は二人の友人のことだと思った。そこからも夢はこのウィーンのような街を舞台として進行していった。

今この瞬間のフローニンゲンの街はもう夜が明けている。七時を過ぎた今、裸の街路樹が一切の風に揺られることなく不動心を体現させる形でそこに佇んでいる。

今日は風がないようだ。一方で、今日は昼過ぎから雨になるらしい。

今ふとしたきっかけで、先週に行われた協働プロジェクトのある仕事について思い出していた。具体的には、そこでなされた対話の中で、双方ともに想像していなかったような言葉が生まれうることについて思い出していたのである。

あの日私は、対話の意義というものを深く実感していた。人と人が真摯に向き合って対話をするとき、どうしてあのように新たな言葉が育まれうるのかということについて考えさせられる。

真の対話は単に新たな言葉や気づきをもたらすのではなく、私たちを動かしてやまないエネルギーを内包している。新たな言葉や気づきと新たな行動に向けた意思が同時に芽生えてくる。

あの日の対話の後、自分がまた一つ新しく一歩を踏み出そうとしているのを感じていた。私たちが人生を深く充実した形で過ごしていくには、こうした真の対話が不可欠なのだと思う。フローニンゲン:2018/4/2(月)07:24 

No.932: Healing and Transformation

Healing and transformation are two sides of the same coin. Both of them are essential for all sentient beings. Groningen, 07:39, Thursday, 4/12/2018

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