ワルシャワとブダペストに訪れる日が刻一刻と迫ってきた。両都市に訪れるのは再来週の金曜日からである。
昨夜、今回の旅行に向けて、両都市のどのような場所に足を運ぶのかを決め、それに合わせて航空券を予約した。ワルシャワもブダペストも徐々に暖かくなってきているようであり、私が訪れるころには春の陽気が漂っているかもしれない。
ワルシャワのどういった場所を訪れるかを考えていた時に、ふと「アウシュヴィッツ強制収容所」が脳裏をよぎった。昨年の年末に数年ぶりに母方の叔父に会い、何かの話の延長で「アウシュヴィッツには行ったのか?」と聞かれた。
私はまだ行っていないとその時に述べた。叔父と会った後、実家に戻った時、父からヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を借りて読んだ。
それ以降、アウシュヴィッツが私の意識内に浮かぶことはなかったが、昨日突如としてその場所に意識が向かった。早速調査を開始し、ワルシャワからアウシュヴィッツがあるオシフィエンチムという都市に行く方法を探した。
その街に滞在し、そこからアウシュヴィッツ強制収容所に行けないかと調べていたところ、強制収容所の直ぐ近くにあるホテルに滞在することが可能であり、強制収容所に訪れることも可能だと分かった。しかし、今回の旅行の日程の中にアウシュヴィッツ訪問を組み入れることは難しいように思われた。
ワルシャワからオシフィエンチムへは電車で四時間ほどであり、それは全く問題なかった。だが、オシフィエンチムからブダペストに移動するには電車で10時間近くかかり、飛行機を使う場合にもクラクフの空港まで行くのに少しばかり手間がかかることが分かった。
そのため、今回は非常に残念だが、アウシュヴィッツに訪問することを見送ることにした。しかし、それでもまだ自分の中に何か渦巻くものがあった。いつか私はアウシュヴィッツを必ず訪問しなければならないと思う。
日程的にアウシュビッツに訪れることが難しいことが分かったため、ワルシャワの滞在計画とブダペストの滞在計画をもう一度練り直した。まず13日の朝にアムステルダム空港からワルシャワ・ショパン空港に向かう。
正午過ぎにはワルシャワに到着するが、この日は街中を散策する程度に留める形で移動日にする。翌日には、予てから訪れたいと思っていたショパン博物館に足を運ぶ。
今回の旅では、一日に一箇所だけを訪問することにし、ショパン博物館でその日は多くの時間を過ごそうと思う。翌15日はワルシャワ国立美術館の中で一日を過ごそうと思う。
ワルシャワにはその他にも優れた美術館があるようなのだが、ポーランドの絵画がこの美術館には多数所蔵されているようであり、この国の文化に根ざした絵画作品がどのようなものであるかをぜひ理解したいという思いから、この美術館を訪れようと思った。
翌16日のワルシャワの最後の滞在日には、ポーランド・ユダヤ人歴史博物館を訪れる。今回アウシュビッツにいけないことも含めると、この博物館にはぜひとも足を運びたいと思う。
翌日の17日は、ブダペストへの移動日である。ワルシャワ・ショパン空港からリスト・フェレンツ空港に向かう午前中の便に乗り、ブダペストにはその日の正午過ぎに到着する。
この日は移動日にし、午後からはブダペストの市内を散歩する。18日はリスト博物館を訪れ、19日はバルトーク博物館を訪れる。どちらもハンガリーが誇る作曲家であり、私もこの偉大な二人の作曲家から多大な影響を受けているため、ゆっくりと時間をかけて二つの記念館を訪れたいと思う。
ブダペストの最終滞在日には、朝からハンガリー国立美術館に向かい、そこで一日を過ごしたいと思う。この美術館はかなり大きいらしく、所蔵品を全て見ることはできないかもしれない。
ワルシャワ国立美術館を訪れるのと全く同じ理由で、つまりハンガリー美術というものがどういったものなのかを自分なりに少しでも掴みたいという理由から、この美術館を訪れることに決めた。そして、翌日の21日にフローニンゲンに戻る。
今回の中欧旅行の計画は上記のようなものになる。昨夜の段階で航空券を予約したため、今夜はホテルを予約したいと思う。春がゆっくりと近づいてくるのと同様に、中欧の存在がゆっくりと自分に近づいてくる。フローニンゲン:2018/4/1(日)07:37