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2349. 復活祭の朝に


復活祭がやってきた。特にこれといって何かを祝うこともないのだが、オランダではこの日を祝日に制定しているためか、私もこの日を意識せざるをえないという状況だ。

復活祭を迎えた今朝は、六時前に小鳥たちの鳴き声によって目覚めた。今朝方の気温はマイナスを記録していたはずなのだが、それでも小鳥たちはすでにその時間帯には活動を始め、美しい鳴き声を奏でていた。

天気予報を確認すると、来週からは再び暖かくなるようだ。来週末にはなんと20度近くになる日もあるようであり、ここからようやく春に移行するのではないかと期待している。この寒さも後少しで過ぎ去っていくだろう。

目の前に広がるダークブルーの空を眺めながら、今朝方の夢を振り返っていた。夢の中で最も印象に残っている場面が突如として浮かんでくる。

夢の中で私は、実際に自分が通っていた中学校の教室にいた。その教室は私が一年生の時に使っていた場所である。そこで私はクラスメートたちと英語の授業を受けていた。

英語の先生がクラスの一人一人の生徒に問題を投げかけている。だが、誰一人として一向に答えることができない。

問題それ自体はまったく難しくないため、周りの生徒は回答する気がないのか、それとも何か恥じらいの感情でもあるのかと思っていた。そうした状況もあってか、先生は問題を変え、新たな問題を私に投げかけてきた。

それは英文を日本語に翻訳させるような問題であった。指名された瞬間、その問題もそれほど難しくないとわかっていながらも、なぜか言葉が出てきづらい状況にあった。つまり私は、思うように日本語が出てこない状況にあったのだ。

そうした状況が自分自身も煩わしく、英語でブツブツと独り言を述べていた。その先生は留学経験もなく、英語環境に身を置いたこともないであろうから、私の独り言など理解していなかったはずである。

実際に私はそれを分かった上で独り言を英語で述べていた。私が英語で独り言を述べている様子を先生は少しばかり驚きと戸惑いの混じった表情で眺めていた。

私は、与えられた問題そのものが良質なものではないように思え、それに回答するのは馬鹿らしいのではないかと思えてきた。普段なら即答できるはずの問題に対して思うように日本語が出てこない自分への苛立ちが、そうした思いにさせていたのかもしれない。

結局私が取った行動は、その問題に一応回答した後に、日本の英語教育において過度に翻訳を重視することへの批判を英語でその先生にぶつけることだった。これに対してもまた先生は驚きと戸惑いの表情を見せた。

言いたいことを全て言うか言わないかのうちに、小鳥の鳴き声が聞こえてきて目を覚ました。目覚めた瞬間には、どこか体の重さ、いやむしろ思考の重さを感じていた。

昨夜もいつも通りに就寝したにもかかわらず、この思考の重さの要因は何だろうかと考えていた。もしかすると、昨日は過去の日記の編集に精を出し、あまり日記を書き留めておかなかったことが要因かもしれないと思った。

実際には普段と同じだけ日記を書いていたのだが、昨夜のある時間帯に書き留めておきたいことが激流のように噴出し、その際にそれを文章の形にしなかったことが、今朝方の思考の重さを招いていたのかもしれない。幸いなことに今はもうその思考の重さはなく、通常通りに今日の復活祭を過ごせそうだ。フローニンゲン:2018/4/1(日)07:00  

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