起床直後には雨が降っていなかったが、午前中の早い段階から小雨が降り始めた。正午に近づいた今もまだ雨が降り続けている。
フローニンゲンの天候は相変わらず不安定だが、こうした天気の中に春の希望を見出すことができるのは不思議だ。人間の内側には、希望を見出す内在的な力が存在しているのだろう。
今、小雨の降る音が書斎の中にいても静かに聞こえて来る。何か雨音に心が洗われる感じがする。
換気も兼ねて書斎の窓を開けてみると、通りを走る車が水しぶきを上げて進む音が聞こえて来た。また、小鳥の鳴き声もどこからともなく聞こえて来る。
この世界に溢れる音に耳を澄ませながら、音楽について少しばかり考えを巡らせていた。
午前中、協働プロジェクトの準備が早めに終わったため、打ち合わせまでの時間に、ウォルター・ピストンの“Counterpoint (1947)”という書籍を読み進めていた。本書は全部で11章から構成されており、ここのところ毎日二章ずつ読み進めていた。
今日も二章を読み進め、残すところ最終章のみとなった。未だ音楽理論に関する知識が浅い自分にとって、本書のほとんどの内容が私の理解を超えていた。それでも、少しずつ自分の理解を深めている実感が本書を読みながらあった。
明日、本書を読み終えた後に、アルフレッド・マンが執筆した“The Study of Fugue (1958)”を読み進めていくことにしたい。本書は、作曲上のフーガの技法に関する専門書であり、以前にも少しばかり読んでいた。
だが、まだ全部を一通り読んでいないため、明日から少しずつ読み進めていければと思う。
先ほど音楽に関して考えていたのは、音を出すことに関する正確性は人間よりも機械の方が優れているということだった。今後はAIによる音楽演奏などを聞くことができるのかもしれない。
しかし現段階では、音に感情を付けることや演奏の中にある種の存在エネルギーのようなものを乗せていくことはまだAIにはできないだろう、ということを考えていた。いつも作曲をしながら思うのだが、自分の作った楽譜に対して、抑揚箇所や曲の流れを掴みながら演奏に強弱を加える形で音楽を再生してほしいものだ、と作曲ソフトに対して思う。
つまり、楽曲を再生するときに、もう少し人間らしい演奏をしてくれないものかと思う自分がいるのだ。強弱や音色を含めて、感情や思想を込めた形でAIが楽曲を演奏してくれる日は来るのだろうか。そんなことをぼんやりと考えていた。フローニンゲン:2018/3/30(金)11:50
No.928: Creation and Path
Any one of my creation should be artifacts for further exploration and investigation of someone else.
Both my creation and I are just such a path. Groningen, 09:21, Tuesday, 4/10/2018