今朝は相変わらず寒い。室内にいても足元から寒さがやってくる。そのため、暖房の設定温度を少し上げることにした。
今朝の寒さにもかかわらず、ここ数日と同じく、目の前の道路には工事に取り掛かっている作業員たちの姿が見える。今朝も八時前から彼らは仕事を開始していた。
暖かい格好をし、ニット帽をかぶりながら彼らは仕事に励んでいる。こうした寒さにあって、彼ら以外にも数多くの人たちが通勤や通学に向けて自転車を走らせている姿が見える。私もこれから一日の仕事に取り掛かろうと思う。
コーヒーカップのぬくもりを手の平で感じ、温かいコーヒーを飲みながら、今日の仕事について少しばかり考えていた。昨日、今年の六月にロンドンで行われる国際学習科学学会の担当者から一通のメールが届いた。
提出した論文を冊子にするために、最終修正を施してほしいとのことだった。特に大きな変更は必要ではなく、審査の過程で執筆著者は伏せることになっていたので、私を含めた三名の著者の情報を載せる。
それ以外には、ワードのフォーマットを整えるぐらいで済みそうだ。今日は夕方にこの作業を完了させ、その担当者に返信のメールをしておきたいと思う。
考えてもしょうがないのだが、来年の今頃はどこで何をしているのかを考えている自分がいた。来年の今頃は米国で過ごしているのだろうか、それとも欧州に残っているのだろうか。
そして、どのような取り組みに従事しながら日々を過ごしているのだろうか。明白なのは、米国であろうが欧州であろうが、日記と作曲を続けていることだけは確かだ。だが、逆に言えば、確かなことはそれくらいしかない。
強いてその他のことを挙げるとするならば、日本企業との協働プロジェクトにはいくつか携わらせていただいているように思う。しかし、それらのプロジェクトをどのように進めているかは見えないことが多い。
それ以外の事柄は本当に未知だ。そうした未知な未来の中で、日記と作曲があるということは私にとって救いなのかもしれない。それら二つの営みがあれば、この世界のどこで何をしていても、日々を確かな足取りで歩いていけるような気がする。
かすかな風が吹いている。それは、フローニンゲンの街をゆっくりと通過していく旅人のように思える。もしかするとこの風と同じように、自分もまたそうした旅人なのかもしれない。
ゆっくりと吹き抜ける風のように、これからゆっくりと今日の仕事に取り掛かろうと思う。フローニンゲン:2018/3/29(木)08:34
No.923: Emotional Charge and Objectification
After reflecting on the distinction between others’ projection and mine, emotional charge would be key to distinguishing them.
If my emotional charge is rather high at that moment, it might be the sign that I’m entrapped by my projection.
Objectification of the situation and myself is a key. Groningen, 09:53, Friday, 4/6/2018