夢に関する振り返りを終える頃には、フローニンゲンの街はすっかりと明るくなっていた。起床の時と同じく、何羽かの小鳥が鳴き声を奏で続けている。
いつもの鳴き声よりもどことなく元気があるように思える。時刻はまだ七時半を過ぎた頃なのだが、赤レンガの家の横の通りには、道路を修復する作業員がすでに一日の仕事を開始している様子が見えた。
他の作業員はまだ来ておらず、その人は一人で仕事を始めているようだ。早朝のこの時間帯から勤勉に働く人を見ながら、私も自分の仕事を静かに進めていこうと思った。
天気予報によると、今日は午後から小雨が降るらしい。今はまだ雨が降るとは思えないようなライトブルーの空が広がっている。
今、目と鼻の先に一台のヘリコプターが通り過ぎていくのが見える。一台だけだと思ったら、もう一台ヘリコプターがやってきて、近くの公園に着陸した様子を目撃した。どこか今日は活動的な朝だ。
一人で道路の整備を始めていた作業員が砂利を運ぶ中型のトラクターを動かし始めた。その様子を眺めながら、昨夜ふと、自分はいつまで日記を書き続けることができるのだろうか、と思ったことを思い出していた。
自分の人生を全うするその日まで、ごくわずかばかりでいいので毎日日記を書き続けたいと改めて思った。しかしそこには、いつか日記を書くことが終わりを迎えるのだという何とも言えない気持ちが自分の胸の内に渦巻いていた。
今朝は何だか普段と違うように思える。それは外側の世界と内側の世界の両方においてである。赤レンガの家に早朝の太陽の光が反射され始めた頃、道路の整備をする作業員の数が増えた。
ちょうど別の二人の作業員が歩いて現場にやってくるところを見た。これから本格的に一日の仕事が始まるのだろう。
今日私は、朝一番に協働プロジェクトに関する仕事を一つ行う。それが終わり次第、少しばかり作曲理論の学習を進めようと思う。
昨日から読み始めたウォルター・ピストンの“Counterpoint (1947)”を今日も読み進めていく。昨夜の段階で二章を読み終え、今日も二章ほど読み進めたい。
こうした作曲理論の専門書は、あくまでも作曲実践の補助として活用していくという意思を再び明らかにした。こうした書籍を読んでいるだけでは決して作曲技術は高まっていかないのだ。
こうした書籍を少しずつ読む中で触れた知識を、作曲実践によって自らのスキーマに変換させていくことを行っていかなければならない。そうした実践は、今日は昼食後に一度行おうと思う。
午後からは、デスクトップ上に保存されている美学に関する論文、そして成人発達理論と経営理論を架橋する論文を読み進めていく。今日も読むことと書くこと、そして曲を作ることで形作られた一日としたい。フローニンゲン:2018/3/27(火)08:02
No.914: For Tonic Days
However melancholic the weather is, my inner world is always invigorated.
Being aware of the briskness of today, I’ll start to work. Groningen, 08:01, Wednesday, 4/4/2018