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2315. 充実感に満たされた金曜日の夜


今日もとても密度の濃い一日だったように思う。午前中からインターンレポートの執筆に力を注いでいたこともあり、夕方の段階でドラフトの全体を書き上げることができた。

振り返ってみると、今日は一日中文章を執筆しており、一気呵成にレポートを書き上げたという感覚が残っている。インターンレポートだけではなく、過去の日記記事の編集も行っており、今日は四六時中自分の書いた文章と向き合っているような日であった。

確かに今日の多くの時間は文章の執筆や編集に充てていたが、それでも幾つかの論文を読む時間があったことは喜ばしい。具体的には、非線形科学の分析手法について数本ほど論文を読み進めていた。

インターンレポートを書く際に引用するためにそれらの論文を読んでいたのだが、論文に記載されていることが興味深く、思わず深く読み込んでしまう自分がいた。これらの論文の中には、今回のインターンレポートの執筆のみならず、現在取り組んでいる研究論文にも引用できそうなものが幾つかあった。

非線形科学に関する論文以外にも、科学哲学、とりわけAI関連の哲学的な議論に以前から強い関心があったことから、今日は何本か面白そうな論文をダウンロードした。昨日か一昨日には美学に関する論文を何本かダウンロードし、それを昨夜読み進めていた。

まだ読んでいない論文もあるが、今日はAI関連の論文をダウンロードしたのも、やはりAIに関する哲学的な話題に強い関心を自分が示しているからだろう。明日の夕方にはまた時間ができそうであるから、今日ダウンロードした論文は明日に読み進めたい。

時刻は夜の九時に近づき、いよいよ今日という一日が終わりに差し掛かっている。今日という一日の中にあった輝きを見逃すことはなかったように思う。

日々の些細な事柄に潜むきらめきに気づくということは、今の私が大切にしている日々の過ごし方である。日々の生活の中で出会う諸々の現象には何かしらの輝きがある。

それを毎日できるだけ捉えるように意識する。実際には、こちらが意識するとしないとにかかわらず、そうした輝きは絶えず私の眼の前に顕現しているのだ。

少しだけ心にゆとりを持ち、ちょっと立ち止まってみると、そのありありとした輝きに気づくだろう。明日もそうした輝きを認識できるような日であってほしい。そうした輝きに気づけるだけのゆとりを持った自分がそこにいることが大切だ。

今日はこれから就寝に向けて作曲実践を行う。ちょうど昨日に案として浮かんでいた、先日作った長調の曲を短調に変換してみるという形で曲を作る。

作曲というのはもしかすると、シャドーワークとしての精神の治癒的作用があり、同時に発達支援としての精神の変容作用があるのではないかと最近強く思う。フローニンゲン:2018/3/23(金)20:54 

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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