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2310. 土地勘のない領域の文献の読み方


夕食を摂り終え、これから就寝に向けてもう少し一日の活動を続けていく。今日もここ数日に続いてサン=サーンスの曲をずっと聴いている。

今もなお書斎にはサン=サーンスの音楽が静かに流れている。先ほど夕食前に美学に関する論文を読んでいた。

美学は私の関心領域ではあるが、専門外であるということから、この論文からは随分と考えるきっかけのようなものを得た。就寝前の作曲実践に向けて、もう何本か論文を読んでいく。

ただし、私は改めて、自分は創ることを最優先にしなければならないと思った。日記と作曲という創作行為を何よりも大切な実践とする。

極言すれば、読むことはもう二の次であり、読書は創作行為を補完するという立場を超えてはならない。読書から得るものが相も変わらずに多いことは承知している。

だがそうだとしても、読書が最優先される活動であってはならない。とにかく自ら何かを生み出していくこと。文章を書き、曲を作るということを最優先させていく意思は揺らがないようにしたい。

間接的には、読むことによってこの世界に関与することも可能なのだと思うが、より直接的に文章や曲という形を生み出すことを通じてこの世界に関与していく。何よりもそうした創作実践が大切だ。

先ほど、論文の読み方について改めて考えていた。以前にも論文の読み方について書き留めていたと思う。

今回は以前に書いていたことに加え、また少しばかり新しい観点が生まれた。おそらくこうした観点がもたらされたのは、先ほど読んでいた論文が自分にはあまり土地勘のない領域の文章だったことが影響しているだろう。

とりわけ、土地勘のない領域の論文や書籍は懇切丁寧に文章を読み進めていてはならないと改めて思う。例えば、初めて訪れる場所において、確かに慣れない土地であるがゆえに慎重に歩き進めることはあるかもしれないが、そこの土地勘がないからといって、足元の一歩一歩だけを見ながら歩いていては目的地に辿り着くことはできないだろう。

おそらく賢明なのは、目的地を明確に定め、そこに向かうまでの道を大まかに把握し、足元の一歩一歩をわざわざ確認するのではなく、その目的地まではざっと一度歩いてみることだろう。

一歩進んでまた一歩戻ってなどを繰り返したり、一歩に時間をかけていては、結局目的地に辿り着けぬままに途中で迷子になるだろう。これと同じことが土地勘のない分野の論文や書籍を読む際に往々にして起こっているのではないかと思う。

仮にその土地に馴染みがないのなら、一度全体を歩いてみるのが良いと思う。一つの論文に関しても、ざっとその論文を読み、大まかな要旨を捉えていく。

ある道を一度通っただけで細部を全て記憶することができないように、一度で全ての文章を理解することができないのは当然である。まずは目的地を明確に定め、論文であれば概略を丁寧に読み、そこからざっとその論文全体を読んでいくことが望ましいだろう。

全体を通して読んでみて、その論文が重要だとわかれば、何度もある場所を訪れる中でその場所をよりよく知っていくように、その論文を繰り返し読んでいけばいい。土地勘のない領域の論文や書籍に関しては、長く一箇所に滞留することなく、上記のような読み方を心がけたいと思う。

これからその読み方を通じて何本か論文を読み、就寝前の作曲実践に取り掛かりたい。フローニンゲン:2018/3/22(木)19:43      

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