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2304. あの飛行機雲のように


充実さの中で今日も一日が過ぎて行った。日々が充実していると言う必要のないほどに、毎日が充実感で満たされている。日々は充実感の化身であったのだ。

夕方の五時半を迎えたフローニンゲン。今日は結局一度も雨が降らず、朝一番の天気予報は外れた。

今日は夜から明日の朝にかけて雨が降るようだが、それはチーズ屋の店主が笑いながら述べていたように、心配する必要はない。なぜなら、私たちはその時間に寝ているのだから。

大学からのキャンパスの帰りに行きつけのチーズ屋に立ち寄り、そこで店主の女性といつものように何気ない世間話をしていた。私が「今日の夜から明日の朝にかけて雨が降る」と述べると、店主はすかさず上記のような機転の効いた返答をした。

店主もそれを言いながら笑っていたが、私も笑った。確かに、私たちはその時間帯は眠っているのだ。一体何を心配する必要があるだろう。

今この瞬間のフローニンゲンの空には幾筋もの飛行機雲が姿を見せている。こうした様子は時々見かける。

フローニンゲンの空に浮かぶ飛行機雲を見るたびに私は、次に自分はどこに行くのかと空想を広げる。本当に私は次にどこに行くのだろうか?

それは誰にもわからないし、私にもわからない。それでいて、私は間違いなくこれからまた別の場所に行くのだ。

私を含めて、誰にもわからない形で自分の人生が進行していることに改めて驚く。同時に、そうした人生の様子に対して敬虔な気持ちにもなる。

人生において分かっていることなど少ないのではないか。分かっていることと言えば、もしかすると今日の夜に雨が降るか否かぐらいのことでしかなく、チーズ屋の店主が見事に指摘していたように、それはほとんど重要ではない。

人生において本当に重要なことは予想を超えたところからやって来るのだろう。人生における重要なことは、本質的には未知なのだ。

未知なものの中に重要性が存在しているのだ。であれば、未知なる世界に積極的に足を踏み入れていこうという気持ちになる。

未知なるものへの耐性、いや、未知なるものとの一体感が増せば増すほどに、未知なるものは自分の人生にとって大切なことを開示してくれる。そうに違いないと思う。

遠くの空に、また一筋の飛行機雲が姿を現している。現在進行形でその飛行機は西から東へと進んでいる。

一体あの飛行機はどこに向かっているのだろうか。私も一体どこに向かっているのだろうか。

それは肯定的な意味で本当によく分からない。よく分からない世界の中をよく分からずに歩いていくことは、この世界を生きる宿命的な事柄なのかもしれない。

どれだけ自分の人生や世界そのものを分かろうとしても、分かる範囲などたかが知れている。だが、それでも私は自分の人生や世界をよく分かろうとする態度を放棄してはならないように思う。

それらを分かろうとする態度があってこそ、自分の分かる範囲を超えた世界からの開示が目の前に現れるような気がしてならない。未知な事柄に対して無知な者に、未知は真実を開示しない。

未知な事柄を何とかより良く理解しようと努める者に、未知はその真実を私たちに開示してくれるのだ。自分の存在がますます飛行機雲のように思えてくる。フローニンゲン:2018/3/21(水)17:51   

No.902: Morning with Lingering Coldness

It is still cold this morning.

Yet, I can see many people on the road who are commuting.

Yes, I’ll also start to work from now. Groningen, 07:51, Thursday, 3/29/2018

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