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2297. 変奏的な発達プロセス


先ほど、改めて書斎の窓から外を眺めている時、この景色にどれだけ自分は励まされ、生きる活力を与えられているだろうかということを考えていた。書斎の窓から見える景色を眺めていると、この世界が本当に絶えず運動をしていることがわかる。

変化の無限の波が目の前に見えるかのようだ。絶えず絶えず景色は変わり、一度たりとも同じ景色が現れない。そして、そうした景色を見ている自分自身も絶えず小さな変化を経験している。

この内側と外側の絶え間ない変化こそが、このリアリティを生み出しているのだと改めて気づく。自己の内面世界が絶えず変化を宿命づけられているという性質上、その変化と歩調を合わせるように、絶えず外側の世界の変化を感じておくというのはもしかすると非常に大事なことなのかもしれない。

つまり、内側の変化に対して調和をもたらすのは、外側の変化なのではないか、ということである。私は、欧州での生活を送る日々の中で、書斎から見えるこの眺めに助けられている。

そこには支援があり、励ましがある。そして、それらは深い安堵感を私にもたらす。

今も目に映っているフローニンゲンのライトブルーの空、赤レンガの家々、裸の街路樹、小鳥たちなどが、全て一つの変化を構成し、それが自分の内側の変化と共鳴しているのがわかる。

仮に今後どこか別の場所で生活をすることになったとしても、外の世界の景色が常に目に入るように書斎の机を配置したい。絶えず自然の恩恵を授かりながら自らの仕事に取り組んでいく。

実は以前にも何度か、書斎から見える景色がどれほど自分の支えになっているかについて日記を書いていたように思う。そこで私は、同一主題について繰り返し考えることの意味を掴もうとし始めた。

興味深いことに、仮に同じ主題であったとしても、その主題に向かっていく角度と観点が常に異なっている。喩えて言うならば、変奏曲を作曲するかのように、同一主題について文章を書いている自分がいるようだ。

そしてさらに興味深いのは、新たに生み出された変奏曲は、以前のものには見られなかった差異が内包されているということである。つまり、同一主題について取り上げたとしても、以前にはない角度と観点をもってして、その主題に対する自分の考えや感覚が小さく深まっていることを実感するのである。

人間の発達とは、こうした循環的な変奏プロセスから起こるものなのかもしれない。日記に関しても、作曲に関しても、絶え間ざる変奏をより意識していこうと思う。

同一主題を取り上げた時、以前の表現物と何がどれだけ異なっているのかという差異が、自らの内側の成熟を示す試金石となるだろう。多様な主題を扱うという拡散的な運動と共に、同一主題に何度も立ち返るという深化に向けた運動の双方が大切になる。

広く、深く、そして小さく自分の探求を続けていきたいと改めて思った。フローニンゲン:2018/3/20(火)08:16 

No.897: Translucent Days

It remains cold in Groningen. Also, it is often cloudy.

Even so, I can feel that everyday is translucent and graceful. Groningen, 11:35, Tuesday, 3/27/2018

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