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2295. 日記を綴ること・作曲すること


西の空にほんのわずかだけ顔を覗かせている三日月が見える。それは今にも夜の闇に消えていってしまいそうなのだが、確かに三日月として輝き続けている。

時刻は夜の八時半に近づいている。一日の活動もあと一時間半ほどになった。

今日は午後から研究に着手し、プログラミング言語のRを用いてあれこれと分析作業を行っていた。事前に立てた三つの仮説のうち、二つは立証されず、一つが立証される結果となった。

立証された仮説については興味深いものであるため、また後日機会があれば書き留めておきたい。

それにしても、今この瞬間の静けさは何とも言い難い。風が一切吹いておらず、外の世界は静止しているようである。

一方で、私の内側は絶えず運動を続けているかのようだ。外の世界と内側の世界のコントラストを感じながら、少しばかり今日の振り返りを行うことにする。

思い返してみると、先週末の土日はとても強い風が吹いていた。冬を追い払うかのような風であった。

その風は単に強かっただけではなく、固有のリズムがあり、春風の躍動とでも言うべきものを私は感じていた。春風の躍動と形容できるような風について今思い出しているのは、もしかすると今この瞬間の外の世界の静けさによるのかもしれない。

今このようにして日記を綴っているわけだが、日記を執筆するということがいかに地に足を着けて生きることを可能にしているかを思う。私の内側には、絶えず超越的な形而上学を求める心があり、それを携えながらも日々の生活を常に地に足の着いたものにしてくれているのは日記のおかげだと思う。

日々の生活を通じて、超越的な形而上学的世界について考えを巡らせることを可能にするのも日記の執筆であるし、そこからこの現実世界で地に足を着けて生きることを可能にするのも日記の執筆である。そうした生き方を可能にする手段として日記以上のものを私は知らない。

今日はこれから就寝に向けて作曲実践を行う。改めて、この世界に存在する曲には実に様々なものがあることに気づかされる。

今日は本当に一日中ラフマニノフの曲を聴いていた。昨日もそんな一日だった。

クラシック音楽を聴いていると、やはりその世界と学術の世界とを結びつける形で考える自分がいる。今日はふと、曲の中には一流の論文ジャーナルに掲載されるような格式の高いものがある一方、誰にでも親しんでもらえるような庶民的なものがあるというように、クラシック音楽には実に広い幅があるものだと気づかされた。

私は学術論文のような曲は作らないようにしようと誓っている。ごく少数の人しか読むことのできない論文のような曲を作るのではなく、多くの人に開かれた曲を作っていきたいと思う。

一編の詩のような曲を絶えず作っていきたい。学術論文のような格式を求めない代わりに、誰にでも共通する人間の普遍的な性質に触れるような作品を作り続けたいと思う。

人間の普遍的な側面を表現するような曲を作る日が来るまで、あと何年かかるのかわからない。それでもそのような曲を作りたいという思いを大切にし続けたい。

自分なりの創意工夫を凝らした短い曲を毎日作っていく。論文の執筆のように曲を作るのではなく、日記を綴るかのように曲を作っていく。

格式ある論文のような曲を作ることのできる人間はこの世界に沢山いる。私にできるのは、そして私が望むのは、日記のような曲を絶えず作り続けていくことだ。フローニンゲン:2018/3/19(月)20:40 

No.895: Good Luck

Good luck, analysts and critics.

I’ll just keep creating something new through my entire life.

I’ll not spend my time to analyze and criticize others’ works, which is a waste of my precious life time. Groningen, 16:20, Sunday, 3/25/2018

 
 
 

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