日曜日の始まりはとても静かで穏やかである。今、朝日が目の前の赤レンガの家々を照らしている。
その家々の中では確かに生活をしている人たちがいるのを私は知っているが、どこか人気を感じさせず、こちらから見ると、それらの家々がどこか一つの芸術作品のように思えてくる。
今朝はやはり寒いので、湯たんぽを使って下腹部や腰を温めることにした。結局五月末までマフラーと手袋を着用していた昨年のように、今年も暖かくなるのはまだまだ先のようだ。
先週に一度暖かさを感じていたが、それはまだ完全な春の到来を示したものではない。来月にワルシャワとブダペストに訪問する予定があり、ワルシャワとブダペストの今の気温を調べてみると、フローニンゲンとほとんど変わらないようであった。ワルシャワに至っては、フローニンゲンよりも気温が低そうである。
こうした寒い日々が続いていても、私の毎日は本当に充実感と幸福感に満ちている。生の歓喜の頂点を通じて生きるというのは、これほどまでに静かな充実感と幸福感が自然と滲み出てくるものなのだと改めて思う。
外の世界は過酷な寒さを呈しているが、私は何かを信じることができているのだと思う。特定の何かというよりも、内側の世界と外側の世界が交差する地点に存在する何かを信仰する心が自分の中で育まれつつある。
それを信仰している自分は、とても敬虔な気持ちになる。私はもう多くのことを求めようとしない。
この世界からの促しと励ましがあれば十分ではないだろうか。そうした促しと励ましを通じて生きること以上に、何を望むことがあるのだろうか。
今しがた、小鳥の鳴き声が聞こえてきた。それを聞いて少しばかりホッとした気持ちになり、同時に心が明るくなるのがわかる。
これもまた世界からの促しと励ましの一つの形に違いない。裸の街路樹の枝は相変わらず風に揺られている。
今日は日曜日ということもあり、これからまず最初に作曲実践に取り掛かる。昨夜の段階で作りかけのものが一曲あり、それをまずは完成させ、もう一曲新たに作ろうと思う。
小さな作品を無数に作っていくことの中で、一つずつ自分の作曲技術を高めていく。その過程の中で、自分の音楽的な感性が涵養されれば何よりだ。
作曲実践の後、成人発達に関する専門書の続きを読み進めていく。この専門書を数章ほど読み進めたら、今日は森有正先生の全集のある一巻を読み進めたい。
こうした読書の合間に、六月にロンドンで行われる学会に向けた書類の作成を行っていく。今日の過ごし方はそのようになるだろうか。
溢れる充実感と幸福感の中で日々の小さな活動を少しずつ前に進めていくこと。それ以外に自己を深める道もこの社会への深い関与が実現される道もない。フローニンゲン:2018/3/18(日)07:41
No.885: Contact with Myself through Making Music
Making music enables me to contact with my inner self.
In other others, it liberates myself in a profound way. Music composition is practice for our liberation. Groningen, 21:00, Thursday, 3/22/2018