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2277. 地味さと尊さが息づく研究


先ほど、インターン先のオフィスで昼食を摂り終えた。今日はまた冬の寒さが舞い戻ったような日である。

早朝にオフィスに向かう時も寒さを感じ、さらに今日は風もある。先ほどキャンパス内のスーパーに昼食を買いに行った時も、外の気温がとても寒く感じられた。

午後からの研究に取り掛かる前に、午前中の取り組みについて振り返っておきたい。今日は朝一番に、ジャン・フォルカート博士とエスター・ボウマ博士と三人でミーティングを行った。

ミーティングの目的は、私の研究の進捗を報告することである。昨夜送った分析レポートを元に、分析の背景と結果について私の方から説明をした。

今回のレポートは、厳密な科学論文の体裁をとっていなかったため、ミーティングの随所で様々な質問を浴びることになった。特に、今回の調査を進めるにあたっての理論的なフレームワークは何であり、そもそもどんな仮説のもとに今回の分析を進めているのかについてこちらから説明する必要があった。

今回のレポートではそれらを詳細に盛り込むことをあえてしなかったのだが、もしかすると全てを文章化しておいた方が良かったのかもしれないと後になって思う。とりわけ、二人からの質問とフィードバックはどれも有益であり、ここからさらに分析の観点を洗練させていきたいと思う。

今回の研究を進めているのは私なのだが、フォルカート博士とボウマ博士の二人が議論を戦わせる場面が何度かあり、研究の当事者でありながらも私はその光景を面白く眺めていた。どの分野であれ、博士号を取得した者の科学的な思考からは学ぶことが多く、彼らの議論の仕方には参考になることが多い。

ミーティングが終わると、そこからは二人のフィードバックを元に分析を改めて行うことにした。そのために、集めたデータを別の観点から整理し直した。

午前中から昼食前にかけては、データの再整理に全ての時間を費やした。これはその先のデータ分析において不可欠な作業なのだが、とても地道な作業だ。

自分のPC画面とにらめってこしてデータの整理をしている最中、この地道な作業の敬虔さについて思いを馳せていた。科学研究とはつくづく地道な作業の積み重ねであり、一つ一つの作業は田植えを行うかのようだ。

一つ一つの作業はどれも不可欠でありながらも地味であり、地味でありながらもそれらを積み重ねていくことによって、研究という一つの命が育まれていくかのように思えてくる。

午後からも引き続きデータの整理を行い、それが完了次第データ分析を改めて行いたい。データの整理もデータの分析もどちらも共に地味でありながら、それらの中には尊さが息づいている。フローニンゲン:2018/3/16(金)13:36 

No.877: Effectiveness of Schematic Representations

Interestingly, people are better able to obtain understanding of principles from real world examples, but they learn more from schematic representations than from realistic representations.

Some research suggests that realistic animations are not so effective for learning.

Instead, offering schematic animations is more effective for learning. Groningen, 17:12, Wednesday, 3/21/2018

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