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2035. 感情の変容と時の美的側面


昨日からまた新しい週が始まった。今週はまた色々と新しいことがありそうな気がする。

一日が終わる際、寂寥感の混じった静謐な感覚がもたらされることが多い。昨夜もそのような感覚がやってきた。

寂寥感と静謐感が混じっているのか、それとも寂寥感の後に静謐感が訪れ、寂寥感の残滓が後者の感覚と混じり合っているかのような感覚をもたらすのだろうか。

昨夜は就寝前にあれこれとものを考えており、その中の一つの主題とこのことは関係している。私たちの内側では、ある感情が深まり、別種の質感を持つ感覚に変容することが起こる。

例えば、情熱という感情は熱情の質感を帯びるというように。感情の質的変容に関して、私はあることに気づいた。

どうやらある感情は確かに質的変容を遂げていくことに応じて、別種の感情に変容していくのだが、元の感情と新たな感情を大別するとやはり同種の感情に括られることが多い。情熱と熱情は質的に異なるが、種類としては同じであるがゆえに、別種かつ同種の感情だと言える。

しかし、ここでまた一つの気づきを得た。自分自身の体験を振り返ってみた時に、例えば情熱から熱情への変容を遂げた後、熱情はさらに質的変容を進めていくと、静謐な感覚に至ることがわかり始めたのである。

熱情と静謐さは随分と異質な感情であり、それらを同種の感情に括ることはできないだろう。むしろ、それらは対極的な感情であるかのように思える。

ある一つの感情は質的深まりと共に、変容プロセスの初期においては、同カテゴリーの異なる質の感情に変容していき、そこから変容が深まると、対極的な質を持つ感情に変貌を遂げていく。そのようなことに昨夜の就寝前に気づいた。

自分の内側にある複数の主題の姿が徐々に見えてきている。上記の感情の質的変容もその一つだろう。

そして、欧州での生活を通じて頻繁に考えさせられるのは、「時」という存在について、さらに「時の流れ」に関する事柄である。両者は共に私を捉えて離さない主題の一つであり、欧州で過ごす日々が積み重なることに応じて、時に対する感性が変容している自分に気づく。

流れていく時の中に何かが堆積していくことを明確に知覚している自分がいる。それと同時に、何らの堆積も許さぬ、流れることのない時の流れが存在していることも見え始めている。

流れていく流れと、流れない流れ。流れは流れるし、流れないという二重の性質を持つ。

人はもしかすると、そのような特質を持つ流れを流麗だとみなすのかもしれない。ハッと気づくと、自分が甘美な時の中にいることがある。

それは、時の美的な一側面に耽ること、つまり時の流麗な側面に触れていることの証かもしれない。時の美的側面との接触は、日々を充実した形で生きるために必要なのだろう。

今日も一日が静かに動き始める。フローニンゲン:2018/2/13(火)07:06  

No.754: Dual Channels

I found an interesting previous study that activating dual channels (e.g., visual + auditory channels) has a better learning effect than using only one channel.

The study also shows that visual channel is inferior to other channels in terms of memorization.

At a first glance, it sounds like common sense. However, we can easily find examples of learning designs that violate the principle of dual channels.

I’ll examine how existing MOOCs apply this concept. Groningen, 16:05, Wednesday, 2/14/2018

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