時刻は早朝の六時半を迎え、今の気温はマイナス四度である。室内は寒さをそれほど感じることはない。
朝方何度か目を覚ますことがあった。その原因はどうやら夢のようだった。
悪い夢を見ていたわけでは決してないのだが、一つの夢の場面が切り替わるたびに目を覚ますことになった。あるいは、夢が重要な局面に進展していくその前に目覚めるということが起こっていた。
自分が夢から滑り落ちたのか、はたまた夢が自分から滑り落ちたのか、そのあたりは定かではない。私が夢の深みに入ることを拒絶したのだろうか、それとも夢がそれを私に許可することを拒絶したのだろうか。
夢の中で何をしていたのかは断片的に覚えているのだが、それらは何か一つのまとまりとして意味を持つものではなく、断片を言葉で描写していくことは難しい。仮に夢日記を書くにしても、夢で生じていた事柄を単に列挙するようなことは気乗りがしない。
やはり、夢の中の出来事から自分なりに意味を汲み取り、そうした意味の総体をもってして夢を記録したいという思いがある。確かに私の日々は、人間存在に関するメモを取ることで形作られているが、そのメモは現象の外観を単になぞるだけのものであってはならない。
そうしたことを行っていても意味はほとんどない。現象の外観記述から出発したとしても、そこに必ず固有の意味を見出し、それを書き留めておく必要がある。
今朝方見ていた夢に関しては、外観記述から固有の意味を抽出・創出することが難しいため、今朝の夢については書き留めることをしないことが賢明のようだ。
ここ最近、ふとした時に人間存在に関するメモを残すことについて考えることが多くなった。自分でもまさかそれが自分のライフワークであることなど思ってもみなかったことである。
昨日はライフワークと一般的な仕事、つまり金銭的な報酬を得ることに関係した仕事との相違点を考えていた。そして、果たして今の自分の日々の取り組みは、本当に全てライフワークに関係したものなのかを改めて考えていた。
確かに生活をするためにしなければならない仕事は存在するのだろうが、今後は少しずつそうした仕事を自分の中で減らしていきたいと思う。日々の一挙手一投足が、全て自らのライフワークに根ざされたものである必要がある。
そこに充実感と幸福感をもたらす鍵がある。今日これから行うことの一つ一つが、自分のライフワークとどれだけ密接に関係しているのかを精査し、日常の全ての営みをライフワークから生み出されるものとしたい。フローニンゲン:2018/2/8(木)06:56
No.736: Toward the Third Day
I plan to format the data next week. It is the first task to do.
In the first place, I’ll just focus on the data of lectures because I need to specify what kind of characteristics lectures have.
More specifically, I should detect variability types of lectures before delving into learners’ online comments.
Once I format the data and conduct analysis——detrended fluctuation analysis with R——, I’ll do the second analysis on the relationship between the variability types and a completion ration (or/and the number of online comments). Groningen, 17:32, Friday, 2/9/2018