
今朝方の夢の印象が強く残っている。とりわけ二つの場面の記憶が強く残っており、その印象が強かったためか、どちらの夢も場面が切り替わるところで一度目を覚ます形となった。
最初の夢の場面では、それほど親しくはなかったが、付き合いの長い友人の家に遊びに行くというものだった。妹と母と友人の本人を含め、彼は三人で小さな家で生活を営んでいる。
彼の家に遊びに行った時、彼と私は外で運動をしていたためか、汗を流すために私はシャワーを借りることになった。シャワー室に行ってみると、そこはトイレと一体となっていた。
それは全く問題ではなかったのだが、トイレとシャワーがあまりにも汚すぎて、私は相当に驚いた。その光景を思い出したくないほどに、トイレとシャワーは汚く、その場から早く逃げ出したい気持ちでいっぱいであった。
この家の外観からはあまりわからなかったのだが、実際には築何十年も経っている家らしく、過去から現在にかけて一度もトイレとシャワーが掃除されたことがないかのようであった。
端的に述べれば、汚物にまみれたトイレとシャワーがそこにあった。結局私は、そこでシャワーを浴びることをせず、その場から離れた。
すると、友人と顔を合わせたので、「トイレとシャワーを一度掃除した方がいいのではないか?」と私は述べた。それに対して友人は、「そうするつもりだ」と述べた。
なにやら、新しいトイレとシャワーを購入するらしい。本当にそうした方がいいと私は思った。
結局シャワーを浴びることができなくて少々困ったが、その一戸建ての小さな家が大きなアパートの一室となり、どうやらそのアパートの一室にはお風呂を貸してくれる場所があるらしい。
その家主は韓国人のようだ。私はその韓国人の家主のところに向かった。
先ほどの友人の家とは異なり、その家主の家はとても綺麗であった。玄関で事情を説明し、早速お風呂を借りれることになった。
私は一安心し、玄関から家の中に入ると、家主の家族が一人いた。家主は中年男性であり、そこにいたもう一人の家族らしき人物は初老の男性だった。
その初老の男性に私は簡単に挨拶をした。お風呂場に到着すると、それまで英語で会話をしていた家主が突然日本語を話し始めた。
その日本語は比較的流暢であり、「どこで日本語を習得したのか?」と私は尋ねた。すると家主は、お風呂場の反対側にある部屋を指差し、部屋の本棚に並べられている大量の日本の漫画から日本語を学んだと述べた。
特にこの八ヶ月間は集中的に漫画を読んでいたそうだ。わずか八ヶ月間漫画を読むだけでここまで日本語を習得できるのかと驚かされた。
漫画だけから学んだとしても、家主の日本語はおかしな表現はほとんどなく、普通に私との会話が成立していた。お風呂場で家主としばらく会話をした後、家主は去り、私はお風呂場のドアを開けた。
するとそこには、先ほどの汚物にまみれたシャワー室とは打って変わって、とても清潔な風呂場があった。浴槽に張ってある湯も透明で非常に綺麗であった。
お風呂場に足を踏み入れたところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2018/2/7(水)07:23
No.732: Bartok’s Mikrokosmos
I was quite surprised by Bartok’s Mikrokosmos; how educational it is.
This is basically written for a beginner pianist.
However, I think that this is tremendously valuable for a novice composer.
I’ll closely scrutinize each piece of work to learn composition skills.
My encounter to Bartok’s Mikrokosmos is quite fortuitous. Groningen, 08:44, Friday, 2/9/2018