今朝はとても穏やかな天気である。昨日とは異なり、今日は雪が降ることはないようだ。
確かに最低気温はマイナスであり、外気は冷たいことは間違いないが、どこか昨日よりも穏やかな印象を放っている。それはおそらく、遠くの空に晴れ間が見えるからかもしれない。
先ほど天気予報を確認して驚いたが、来週は一週間を通じて晴れの日が続くようだ。晴れマークが七つ連続して並ぶことなどここ最近は一切なく、というよりも、フローニンゲンの街でそのようなことは年間を通してもほとんどないと思われる。
ちょうど明日からフローニンゲン大学のMOOCチームと共に研究を行うインターンが始まるため、来週の天気が良いことは幸先の良いスタートを暗示しているように思える。
明日は早朝からマイナスの世界を歩いてオフィスに向かうことになるが、その足取りはきっと晴れやかなものになるだろう。そして、その一歩は今後の自分に向けた確かな一歩になるはずだ。
昨日、改めて一歩一歩の歩みの重要性について思いを巡らせていた。とにかく毎日一つ一つの仕事を積み重ねていくのである。
人に見られていようが見られていまいが関係なく、さらには自分ですらもそれを見ているかどうかに関係なく、とにかく愚直に毎日小さなことを絶え間なく続けていくのである。
毎日文章を書き、文章を読み、そして曲を作る。人間存在に関するメモを絶え間なく書き留めていく。
自分の内側で少しでも形になろうとした思念と感覚の全てを把捉し、それに形を与えていくのである。与えた形が不完全であっても一向に構わない。完全な形など最初から存在しないのであるから。
内側の目には見えないものをとにかく言葉や音を媒介にして形象化させていく。突き詰めて言えば自分の仕事はそれだけであり、それ以上のことなど私にはできないであろうし、それ以外のことに従事しようとは一切思わない。
内的現象の形象化こそが自分のライフワークである。
昨日も過去の偉大な作曲家が残した楽譜を少しばかり眺めていた。すると、彼らをもってしても、一つ一つの曲は一見すると完結されたものであったとしても、それら一つ一つの曲の総体、つまり作曲家自身の芸術は完結していなかったことを知る。
そうであれば、彼らが残した一つ一つの作品というのも彼らの歩みや存在を映し出す「メモ」のようなものなのではないかと思えてきたのである。
「あぁ、やはりメモなのだ。メモを残すことが進むことであり、深めることなのだ」という新たな確信を得る。文章としてのメモ、曲としてのメモを今日も残し続けていく。明日がやってくるのなら、明日もそうだ。フローニンゲン:2018/2/4(日)09:24
No.719: Beginning of Internship
The first day of my internship has started from today. I arrived at my office.
The room is very decent, and I intuitively think that this room enables me to concentrate on my research.
One of my colleagues told me where I can get coffee and lunch.
Thus, I don’t have any concern about working here.
Let’s begin my internship. The first thing I want to is to make a new schedule for this internship. Groningen, 09:57, Monday, 2/5/2018