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2083. 時間感覚の変容


今日は少しばかり時間感覚がいつも以上に変容していたような一日だった。確かに一日を今終えようとしているのだが、何か三日間ぐらいの時を過ごしたように思う。

時間としてはあっという間に過ぎ去ったといういつもながらの感覚が身を包んでいながらも、その感覚の芯にあるものが、どこかいつもより濃厚な感じがするのである。

その濃厚さが、一日を三日のように感じさせる時間感覚の変容の核にある。時間は本当に伸び縮みするらしい。

先ほど浴槽に浸かりながら、またしても今後の生活拠点についてぼんやりと考えている自分がいた。やはり二年間以上同じ場所に住む自分というものがまだ想像できず、もう少し年齢を重ねるとその辺りの感覚も変わってくるのだろうか。

実は、意識的な自己である私自身は、生活環境の変化による刺激を求めることはない。むしろ新たな刺激を極力減らし、淡々と毎日を過ごしていくことを好む傾向さえある。

それはまさに起床時間や就寝時間、食事や一日の行動内容と行動リズムのそれに全て現れている。だがどうしても、生活拠点だけは少なくとも数年に一回はこの世界を転々とする形で変えている。

浴槽に浸かりながら、私はぼんやりとこれから数十年間は数年に一回の頻度で住む国を変えているように思う。ただし、仮に次に米国に足を踏み入れることになれば、私はしばらくその場所で生活をしてもいいのではないかと思っている。

そのような予感がどことなく自分の内側に漂っていることは、以前の日記にも書き留めていた。遍歴を好む魂を持っているだけに、その魂が落ち着く場所というのはこの世界において限りなく少ないのかもしれない。

今朝も日本企業との協働プロジェクトに関する仕事があり、明日も二件ほどある。これから三月末までは、欧州時間の平日の午前中は協働プロジェクトに関する仕事が大抵入っている。

それもまた自分の日々に欠かせないものとして存在している。全てが一つのライフワークの下に営まれている気がするのだ。それはとても有り難いことであり、幸運なことだろう。

これから就寝までの時間にかけて、再び少しばかり仕事をし、残りの時間は作曲実践に充てる。ふと書斎のソファを眺めると、昨日行ったポスタープレゼンテーションのポスターをそこに置いていることに気づいた。

今後の人生の中で何回ほどポスタープレゼンテーションを行うのかはわからないが、昨日のポスターも含めて、それは一つの形あるものとして記念に取っておこうとふと思った。フローニンゲン:2018/2/1(木)19:31

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