2073. 水平的・垂直的発達に内在するある感情について
- yoheikatowwp
- 2018年2月2日
- 読了時間: 4分

一日の活動の開始に合わせて、リストのピアノ曲をかけた。これまでリストの曲を早朝に流すことはそれほどなかったように思う。
リストの曲に耳を傾けていると、そういえばリストもまたハンガリー出身であったことを思い出した。先日、ハンガリー出身のバルトークについて調べていたことは以前の日記に書き留めていたように思う。
ちょうどこの四月にワルシャワとブダペストに滞在する計画を立てており、ブダペストを訪れる際に、ぜひともバルトーク博物館に訪れようと思っていた。今朝、リストについても関心が向かったため、少し調べてみると、そういえばリスト博物館もブダペストにあることを思い出した。
偶然にも、以前ネットワーク科学の探究のために進学を考えていた、中央ヨーロッパ大学の目と鼻の先にリスト博物館がある。昨日はラヴェルの曲に範を求め、一昨日はバッハの曲に範を求めていたように、今の私は様々な作曲家の作曲思想や作曲技法を学ぶ段階にある。
そうした中で、これまでリストはその対象になっていなかった。リストが偉大な作曲家であることは重々承知であったが、どうもこれまではあまり範を求めようという意欲が湧かなかった。
だが、早朝に訪れた小さなきっかけ、つまり「リストについて少し調べてみよう」と私に思わせた何かが契機となり、これからリストにも範を求めようという意思が芽生えた。非常に些細なことかもしれないが、リストが生誕した日と私が生誕した日は一日違いであり、一日の違いの中に何か重要なものを見出している。
自分を超えたところにある何かが、リストという存在に向き合うことを促したように思えてくる。少なくとも今日は一日中リストの曲を聴こうと思う。 今朝方の夢について書き留めた後に、ふと一昨日の朝方に見ていた夢について再度思い出した。それは天空にある不思議な場所に向かっていく夢だった。
夢の最後に、天空へと続く道を眺めていたことは昨日の日記に書き留めていたように思う。ただし、昨日の日記で書き留めていなかったのは、夢を見ていた当人である私の感情であった。
あの夢に凝縮されていたのは、水平的なものが持つ内在的な安らかさと垂直的なものが持つ内在的な恐怖だったのではないか、と突然思った。これは何か人間の水平的・垂直的な発達現象が持つ特性と関係があるように思えて仕方ない。
人は水平的な道を歩むこと、つまり水平的な発達を遂げていく最中にあっては、主要な感情は安堵感なのかもしれない。天空へと続くあの道は、天上から見れば、地上からほぼ水平な形で徐々に天上に向かっていた。
その道を眺めた時、その道が持つなんとも言えない安らかさが自分を包んだのを覚えている。一方、天空に待つ不思議な場所に辿り着き、その場から地上を眺めた際に、実は恐怖の感情が湧き上がっていたことは昨日の日記に書き留めていなかった。
いやもっと言ってしまえば、天空のその場所に登っていく最中にも絵も言わぬ恐怖の念が自分の身体に絡み付いていたのである。そこには上昇する恐怖と下降する恐怖の双方があった。
これこそまさに、人間の垂直的な発達に内在する恐怖でなないだろうか。人は上にも下にも垂直的に進むことに対して、恐怖の感情を深層的な部分において抱くものなのではないだろうか。
上昇への恐怖は、自己の存在が持つ可能性が生み出す逆説的なものなのかもしれない。端的には、自己の潜在的な可能性が未知であるがゆえに、その未知に自己が向かっていくことには内在的な恐怖が付きまとうのである。
一方で、下降への恐怖は、自己の深層的な部分を覗き見ることの恐怖と関係しているように思える。人間の内側の世界は、上にも下にも無限に広がる領野が存在しており、その無限性が独自の恐怖感を私たちに覚えさせるのではないか。
ただし、これも人間存在が生み出す「恐怖」に過ぎないのであるから、恐怖の先にはまた何か別の感情をもたらすものがあるに違いない。フローニンゲン:2018/1/30(火)07:15
No.706: Dignified Steps
I’m often struck by a way of living with dignified steps.
Our way of living can be fathomlessly august. Groningen, 21:54, Wednesday, 1/31/2018