今朝は活力に満ちた形で六時前に起床した。六時半前に一日の活動をスタートさせることができる土曜日というのは、休日初日の一日全体がどこかとても充実したものになるだろうということを予感させる。
起床直後、いつものようにお茶を入れていると、ティーバッグに記されていた言葉に目が止まった。翻訳するならば、「自己が達成する最大の事柄は静寂さになることである」という文言がそこに記されていた。
そこに書かれていたことは、ここしばらく私自身が考えてきたことと非常に似ているため、心に響くものがあった。大きな感動というよりも、それこそまさに自己が静寂さになるような感覚がそこにあった。
私たちが成し得る最大の事柄が、仮に静寂さになることであれば、今この瞬間の私たちを振り返ってみるとどのようなことが言えるだろうか。静寂さそのものになっていくよりも前に、自己を取り巻く内外に静寂さは存在しているだろうか。
私たち一人一人の内面世界も現代社会も、どこか静寂さとは真逆の方向に向かって動いてはいないだろうか。そのようなことを考えさせられる。
私はその文言の付された紙をティーバッグから外し、ノートに貼り付けた。 六時半を迎える今この瞬間のフローニンゲンの街はとても静かだ。今日が土曜日ということもあってか、この時間帯に通りを行き交う人や車は皆無である。
外側の静けさに呼応するかのように、私の内側も極めて静かである。日々が静かさの中で営まれ、自分自身がますます静寂さに還っていくような確かな感覚。
自己の存在とは元来静寂さから出発し、静寂さに帰還することがその歩みであるかのようだ、ということを実感させられる。ノートに貼り付けた先ほどのメッセージは、やはりそのような点を示唆するものなのだろう。 今日は土曜日ということもあり、一日の多くの時間を作曲理論の学習と作曲実践に充てたい。昨日からフォーレの作品を参考にしながら曲を作っている。
昨夜初めの何章節かを作ってみたところ、フォーレの作品から得られる学びは随分と多いことがわかる。これまで範を求めてきた作曲家とはまた違った独特な発想と感性を楽譜の中に見い出すことができる。
昨夜に引き続き、今日もこれからフォーレの作品に範を求める形で作曲実践を行う。一日に一分の曲でもいい。とにかく短い習作を大量に生み出していく。
毎日一分の曲を書き続けることができれば、それはいつか巨大な音の建造物になるだろう。自分には長い曲を作ることの資質も意志もない。
ただし、短い曲を毎日継続して膨大に作ることに関しては、何か自分を捉えてやまないものがある。この、自分を捉えれてやまないものに従って日々の実践を継続させていくことが、自己が静寂さに辿り着く最良の方法なのかもしれない。フローニンゲン:2018/1/27(土)06:42 No.695: Pegasus
Pegasus might not be a mythological creature.
Rather, it might be a real creature that resides within us.
It may exist as our vital force to fulfill our daily life. Groningen, 08:36, Sunday, 1/28/2018