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2050. 二つの夢


今朝は六時過ぎに起床し、六時半あたりから一日の活動を開始させた。昨日は夕方から雨が降り始めていたが、どうやら今は雨が止んでいるようだ。

天気予報によると、今日は晴れであるらしい。ちょうど午後から、自宅から少し離れたザーニクキャンパスに行く用事があるため、晴れであることは幸いだ。 昨夜の夢の印象が強く、起床してからもその夢を反芻している自分がいた。今は少しずつ記憶が薄れ始めているが、覚えている範囲のことを書き留めておきたい。

夢の中で私は、ある大きな生鮮食品スーパーで働いていた。そのスーパーはかつて見たこともないほどに巨大であり、フロア中に巨大な棚が何段にも積み重なっている。

一つ一つの棚には食料品が入っており、積み重なっている棚はおそらく10mほどの高さになるだろう。私は食料品の質をチェックする仕事に従事しており、巨大な棚をあたかもロッククライミングするかのようによじ登り、一つ一つの棚を開けて中の食料品を確認していた。

棚によじ登っていると、右斜め上に同僚が同じように食料品のチェックをしている姿を見かけた。私は同僚に話しかけ、仕事の捗りぐらいをお互いに確認した。

するとその同僚は、今開けている棚の中から何やら美味しそうな食べ物を取り出し、それを食べ始めた。同僚が私にも勧めるため、彼がいる棚のところまでよじ登って行き、その食べ物を食べた。

確かにとても美味しい。名前のよくわからない食べ物なのだが、味は確かだ。

そこで私は、自分がさっきいた棚にある食べ物の味も確認してみよう、と同僚に話を持ちかけた。同僚もかなり乗り気であり、私たちはその場から少し棚を降りていき、私が元いた棚に戻ってきた。

そこで私は棚を開け、また名前のわからない食べ物を見つけ、それを同僚と二人で食べ始めた。やはりその食べ物の味もいい。

二人は満足げな表情で、名前のわからない食べ物を食べ続けた。ふと視線を下にやると、今自分がいる場所が極めて高い場所にあるのだと改めて知る。

眼下にお客もおらず、私たちは相変わらずその食べ物を食べ続けていた。すると突然気づいたのだが、私たちはここで働いている者ではなく、お客そのものに他ならないということだった。

巨大な棚をよじ登り、その棚から好きな食べ物を好きなだけ食べる夢。自分がその店の従業員ではなく、お客だったことに気づいたところで夢の場面が変わった。

次の場面では、私はサバンナ気候の土地の上を歩いていた。ジャングルのように木々が生い茂っているわけではなく、背の低い木が何本か所々に生息しており、地面にはこれまた背の低い草が生えている。

しばらく歩いていると、一本の木が枝と葉っぱを道の方にだらりと垂らしている姿が見えた。その木に近づいていくと、木を通過しようとした左側から蜂の飛ぶ音が聞こえてきた。

大量の蜂ではなく、おそらく一匹の蜂の飛ぶ音だったと思う。私はその蜂に刺されないようにその場をそそくさと後にし、すぐさまその木から離れた。

木を離れて再びサバンナの道を歩いていると、蜂の音が聞こえてきた耳の方から、「今年のイタリアサッカーはどうだろう?」という声が聞こえてきた。

声が聞こえてきた方向を見ると、そこには誰もいない。しかし、その声は私に向かって話しかけているようだった。

最初は若干薄気味悪く思えたが、その声は確かに私に話しかけてきていることが次第にわかってきた。どうやら、イタリアにいる見知らぬ人が遠方から今サバンナにいる私に向かって話しかけているらしいのだ。

もう随分とサッカーを見なくなっているのだが、そのイタリア在住の人物とお互いの姿が全く見えないまま今年のイタリアサッカーについて対話を行っていた。フローニンゲン:2018/1/25(木)07:10 No.685: Beyond the Vicissitudes of Our Life

Is our life colored by prosperity and decline?

I cannot help but think that there is another color that goes beyond the vicissitudes of our life.

Our life is painted by the color that transcends the dichotomy between ups and downs. Groningen, 09:11, Wednesday, 1/24/2018

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