昨日は雨が降り続け、今日も雨のようだ。今日だけではなく、明日もまた雨のようであり、さらには今日と明日の天気予報には雪マークが付されている。
そうした天候の中、「雨」という言葉を「私の人生」という言葉に置き換えることができることは、一つの大きな希望だろうか。つまり、昨日も、今日も、明日も私の人生であることに変わりはないということである。 昨日から一日経ったのに、一昨日の夜の夢の後半の内容をまだ覚えている。夢の前半についてはすでに書き留めていたが、後半についてはまだ書き留めていなかった。
夢の後半の内容が書き留められることを待っていたかのように、依然として私の記憶の中にその内容が残り続けている。夢の中で私は、友人が運転する車で山道を走り、山の中腹で降ろしてもらった。
車が停車した地点から山の方を眺めると、そこには何かを祀っている神社が見える。また、神社に向かって山を登っていく階段がすぐ近くに見える。
その階段に向かって歩き出そうとした時に、私はハッとするように、神社のある一角を除いて、辺り一面が雪に包まれていることに気づいた。自分の足元を見ると、私は分厚い雪の層の上にいることに気づいたのである。
そうした気づきに相まって、私の足元にはリードに繋がれた愛犬がいた。そして、私はリードを握っていることに今ようやく気づいたのである。
私は愛犬と共に、神社の本殿に向かって階段を登りだした。階段を上る足取りに合わせて、なんと愛犬の大きさがみるみるうちに小さくなっていくことに気づいた。
そして、愛犬は階段横の道にある雪の穴の方に関心を示し、その穴の中の方に入ろうとしていた。その穴がどれほど深いものかわからず、仮に愛犬の大きさがますます小さくなってしまったら穴の奥へと入って出れなくなってしまうのではないかと私は心配した。
すると案の定、愛犬はリードで繋ぐことができないぐらいに小さくなってしまい、穴の奥の方へと滑り落ちていった。穴の深さがわからないことは私を不安にさせ、愛犬の様子を大いに心配したが、その穴はどうやら別の世界につながっていることが何となくわかり始めた。
穴の奥から愛犬の声は聞こえず、生命を持つものに固有の存在感というものがもはやそこには一切なかった。消えた存在感をもってして、私は愛犬がこの穴を通じて別の世界に行ったのだということを確信した。
そうした確信が芽生えた時、私はなぜだか本殿まで階段で上がっていく必要性を感じなくなった。その穴を境目とし、私は元来た道を戻ることにした。
友人の車が停車した地点まで戻ってくると、もはや友人たちはそこにはいなかった。だが、辺りを見回してみると、何かを祀っている石板のようなものを見つけた。
それは人や動物の形を模した石像ではなく、巨大な石板だった。いやそれは石板というよりも、巨大な石だと行った方が正確かもしれない。 その巨大な石には何やら文字が刻まれていたが、私には解読することができず、どのような意味を持つ文字なのかさっぱりわからなかった。
石の下の方を覗き込んでみると、石の裏手からひょっこりと見知らぬ人が顔を出した。私は少々面食らったが、どうやらその方は地元の人らしい。
親切にもその方は、この巨大な石についてこれから説明をしてくれると述べた。この石に刻まれた文字の意味や、そもそもこの石の存在理由について、そしてあわよくば、先ほど愛犬が落ちていった不思議な穴についても話を聞きたいと思っていた。
その方が口を開けてこれから何かを説明しようとした瞬間に、夢が終わりを告げた。フローニンゲン:2018/1/19(金)06:52
No.662: In the Ceaseless Rain
Yesterday was rainy, and so is today.
How about tomorrow? It’ll be rainy too.
However, what I can replace “rainy” with “my life” provides me with a hope.
Yesterday, today, and tomorrow are my life, which is unchanging. Groningen, 11:05, Thursday, 1/18/2018