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2026. 激しい模倣


昨日、ハワード・ガードナーが執筆した芸術と人間発達に関する書籍を読んでいると、自分の心を動かす一つの記述に遭遇した。その記述の周辺には、過去の優れた作曲家たちがいかにして作曲技術を磨いていったのかについて書かれていた。

バッハにせよ、ベートーヴェンにせよ、彼らは作曲家としての人生を歩む道程で、過去の作曲家の作品を激しく模倣する時期があった。まさに「激しく」である。

数週間前に、ヨハン・ヨーゼフ・フックスという17世紀後半から18世紀初頭にかけて活躍したオーストリア人の作曲家が執筆した“The study of counterpoint (1965)”という書籍を読んでいる最中、その序文に、ハイドンやモーツァルトもこの書籍に範を求めていたことを知った。

特にハイドンは、この書籍が擦り切れるまで繰り返し本書を読んだそうだ。まさにハイドンが行っていたのは、対位法に関するフックスの理論の模倣であり、完全な模倣を目指して日々研鑽に励んでいたようなのだ。

日本の伝統芸能において、「守破離」という考え方があり、過去の先人の技術を模倣し、そこから自分の固有な技術を確立することの重要性は頻繁に見かける議論である。

しかし、それがどんなにありふれた議論であっても、いやむしろそうした指摘が頻繁になされるというのは、それがある真理を提示しているからなのではないだろうか。

発達心理学者のレフ・ヴィゴツキーも、子供たちの発達における模倣の重要性を指摘している。子供たちは、他の子供や大人たちの言動を模倣する形で種々の能力を伸ばしていく。

それと同じことは、私たち大人にも当てはまるだろう。特に、ある領域における技術を磨いていく際に、それがとりわけ歴史のあるものであればあるほどに、歴史の経過によって積み上げられた叡智が存在しているがゆえに、過去の先人の知恵や技術を模倣することは大切なことのように思える。 ここ最近、私は作曲をする際に、過去の作曲家の楽譜を参考にしながら曲を作ることを特に意識している。バッハやベートーヴェンを含め、過去の偉大な作曲家がある時期に集中的に他の作曲家の作品に範を求め、そこからできるだけ多くのことを学び得ようとしていたのと同じことを私も行う必要があるだろう。

おそらく私にはまだ、模倣の激しさが足りていない。それは既存の作品から多くのことを学び取ろうとする態度が欠如しており、過去の曲を基にして自分の曲を作る量においても不十分である。

ここからは、模倣に次ぐ模倣、激しい模倣を集中的に行っていく。過去の作曲家の作品に範を求めながら、膨大な量の習作を生み出す過程を通じて、徐々にいろいろなことが見えてくるだろう。フローニンゲン:2018/1/18(木)10:29

No.661: Rigorous Imitation

As most past great composers did, I’ll horn my composition skills through rigorous imitation.

Bach, Haydn, Beethoven, etc. established their own styles by imitating other composers.

The fact gives me tremendous encouragement.

I’ll emulate as many past works as possible, which is the first developmental process to establish my unique style in the future. Groningen, 10:53, Thursday, 1/18/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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