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2019. 静謐な感覚


起床して一つの日記を書き留め、コーヒーを入れにキッチンに向かった。その時横目で食卓の外の景色を眺めると、地面がうっすらと雪に覆われているのを確認した。

暖房が効いているはずなのに、今朝はいつもより寒さを感じると思ったのは、やはり外気がだいぶ下がっていたためだろう。今日は夕方から、「応用研究手法」のコースのクラスに参加する。

このコースも今日を含め、あと二回ほどのクラスとなった。今日のクラスに向けて、このコースを担当するロエル・ボスカー教授から昨年の最後のクラスで手渡された論文を読んでおく必要がある。

この論文に関しては、年末に一度中身をざっと確認した程度であるため、昼食の前後にこの論文の重要な箇所を中心に再読しようと思う。 昨夜は何か記憶に残る印象的な夢を見ていたはずなのだが、その内容を思い出すことができない。夢の内容を思い出せないというのはもしかすると、その夢の意味を咀嚼できる段階に自分がまだいないということもありうるのではないか、と最近思う。

あるいは、夢が顕在意識下の自分にとって向き合いたくないようなものである場合、無意識はそれを夢として開示しながらも、開示を終えたらまた蓋をしてしまう、ということもありそうだ。

いずれにせよ、今日の夢がまた形を変えて現れてくることを願う。昨日の朝もそうであったが、今朝も目覚めた瞬間に、自分がとても静かな世界への入り口に立っているような感覚がした。

その感覚についてはすでに曲として表現している。起床直後の自分を包むこの感覚に意識を向けてみると、どうやらその静謐な世界は、すべての現象を生み出す場所だということが見えてきた。

その世界は、自分の内側の諸々の内的感覚や、世の中の諸々の現象を生み出す場所として存在している。その世界は、全ての現象を生み出す場所として存在しているがゆえに、全ての現象を超越している。

この超越性が静謐な感覚を生み出しているのかもしれない。最初にその感覚と遭遇した時、私はそれを、肯定的でも否定的でもない中立的な静けさだと受け取っていた。

しかし、その感覚に深く沈み込んでいくと、それは中立的というよりもむしろ、超越的な静けさと呼んだ方がふさわしいように思えてきたのである。全ての現象の生成を司るその場所は、現象の間に中立的に立っているのではなく、超越した形で広がっている。

そうした考えから、その感覚は超越的な静けさと呼べるようなものだと思う。 今日の目覚めの際にも感じていた超越的な静けさは、今もまだその感覚が自分の内側に残っている。フローニンゲン:2018/1/17(水)07:43

No.654: Candidate Metrics

Because the fractal dimension of the variability of sentence length might have an effect on learning processes and outcomes, I’ll keep the metric even though it looks too simple.

So, I’ll utilize three metrics in total; sentence length, course relevant concepts, and stop words.

I’ll find some literature of the effect of stop words on learning processes and outcomes. Groningen, 18:03, Monday, 1/15/2018

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