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2000. 可知的かつ不可知的な世界の中で


ふと気がつけば、これまで書き留めていた日記の数が私の誕生した西暦を過ぎ去り、現在の西暦に近づきつつある。

日記の数など一切問題ないのだが、日記に番号を振り始めてから、この二年ほどの間で随分の数の日記を書き留めていたのだと気づく。

今でもそうだが、日々自分が確かに生きているという実感を求め、自己の存在証明を自らに行うために日記の執筆に熱を浮かせていると、気づかない間にこのような数の日記を書くことになっていたのだと思う。

だが、私が日記の意義に気づき、日々のその瞬間瞬間に立ち現れる思考や感覚などを書き留めるようになってからまだわずか二年の月日しか経っていない。確かにそれ以前にも別の場所で自分の日々を振り返るような文章を書いていたが、それは毎日ではなかった。

日本を離れ、日本語空間の外側で生活を営んでいる私にとって、毎日日本語で文章を書くというのはどこか気乗りのしない非常に億劫なものだったのは確かだ。しかし、ある時を境目にそうした気持ちはどこか彼方の世界に過ぎ去った。

代わりにやってきたのは、存在の克明な記録を意図した激しい執筆衝動だった。それがやってきたのが二年ほど前のことだと思う。

不思議なことに、今はそうした執筆衝動に基づいて文章を書いているのではなく、その先に待っていたまた別のエネルギーを基にして文章を書いている。

それは以前のような激しい力を持ったエネルギーでもあるが、本質的には極めて穏やかだ。激しさの向こう側にある平穏な波のようなエネルギーが自分の内側に流れているのがわかる。

そうしたエネルギーに基づいて日々の日記を書き留めているのと同じように、これからは日記的な曲を絶えず残していきたいという気持ちが強くある。今はまだ音楽言語の習得過程の初期の段階にあり、音楽言語を用いて文章という曲を作ることは到底おぼつかない。

一・二行の文章が書けるかどうかの段階にあり、その一行すら納得のいくものを生み出すことは難しい。しかし、言語の習得過程というのは概ねそのようなものであり、焦っていても仕方ない。

今このように日本語で日記を執筆しているのと同様の次元で曲を生み出すところまで、日々一歩一歩、作曲理論の学習と作曲実践を積み重ねていきたいと思う。 昨日の夕方、私は不思議な感情の中にいた。知ることの幸い、知らないことの幸い、知ることの不幸、知らないことの不幸。

これら四つの幸不幸が入り混じった感情の中に私はいた。日々この世界で生きるに際して、常に世界は私の知っていることと知らないことに基づいて動いていることに気づく。

それに対して私は、上記のような四つの感情を同時に抱き、それらの感情が入り混じった感情世界の中にいたのである。この世界には知ることによって開ける世界の美しさがある一方で、知ることによる苦しみの世界も存在している。

実際には、知ることと知らないことを取り巻いているのは、喜びの世界や苦しみの世界だけではない。美しい世界や醜い世界、静かな世界や激しい世界など、この世界の無数の諸相が存在している。

知ることと知らないことが自分の内的世界に及ぼす力について、私は立ち止まって考えを巡らせていた。拡大していく知られた世界と、知れば知るほどに深まっていく知らない世界。

この世界はどこまで行っても可知的であり、不可知なのだろう。フローニンゲン:2018/1/12(金)07:23

No.635: Unfathomable Inner World

I’m often struck by the depth of not only my inner world but also others’.

Our inner world is always unfathomable.

The incomprehensibility entices me to explore fathomless human inner world.

That is why I may be engaging in art, philosophy, and science. Groningen, 08:52, Friday, 1/12/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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