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1999. 虚無的世界と豊満な日常


また新しい一日がやってきた。日本からオランダに戻ってきて以降、就寝中は明け方の三時半に必ず目を覚ましていたが、今朝はそのようなこともなく、六時の起床まで眠り続けていた。

どうやら私は、あの時間も空間も感じられない意識すら生じ得ない虚無的世界の中にずっと居続けていたようなのだ。目を覚ましてみると、ここからまた意識的に捉えられる、虚無の外側の世界での活動が始まることを知る。

この世界は虚無の外側にあってそれを包んでいるのか、むしろ虚無がこの意識的世界を包んでいるのかは定かではない。とにかく、今日という一日が始まったことだけは確かだ。 来週から再び大学での講義や研究ミーティングなどが始まる。実際には、今週から大学自体は始まっているのだが、私の受講しているコースや研究グループは今週まで休みである。

来週からは以前のように、日常生活の中に科学的な探究活動が加わる。そうなれば日々がまた別の色彩を帯び始めるだろう。

だが、毎日の生活の中にある色彩のない側面、つまり生活の本質を見据えていなければならない。日々の生活を変化に富んだ彩りあるものにしてくれる本質を見据えなければ、多様な変化や色調に目がくらむばかりである。

それでは生活の本質とは何であろうか?それはもしかすると、夢すら見ない夢の世界、つまり先ほど指摘した虚無的世界なのかもしれない。

虚無的世界という言葉の否定的な響きに惑わされるのではなく、それが確かに存在しており、私たちは毎晩その世界へ足を踏み入れていることを忘れてはならない。実際には、それは夢の世界からアクセスすることができるだけではなく、本来は日々の生活のあらゆる瞬間にアクセスすることができるはずなのだ。

「虚無がこの豊満な日常を支えている」そんなことをふと思う。虚無的な世界があるからこそ、変化と色彩に富む日常が存在しているのではないだろうか。

全てはこの虚無的な世界から生み出されるのではないか、という考えが意識上にポカンと浮かぶ。 虚無の世界に囚われるのではなく、自己の存在もその世界からの現れに過ぎないという発想と共に、今日も一日の生活を形作っていきたいと思う。今日は午前中に、協働者の方とのオンラインミーティングがあるが、それ以外に特に重要な仕事はない。

そのため、その他の時間はいつもと同じように作曲実践を中心に据え、福永武彦氏の小説を少しばかり読むことと、ドビュッシーが執筆した美学に関するエッセーである “Three Classics in the Aesthetic of Music (1962)”を読み進めたいと思う。フローニンゲン:2018/1/12(金)06:58

No.634: Ramifications of Our Inner River

Our inner world looks like a large river.

It ramifies into various flows.

How can we bring harmony to the distinct flows? Groningen, 08:12, Friday, 1/12/2018

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