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1979. ロシア上空での決意の確認


成田空港を出発し、ヘルシンキに向けて飛行機が出発した。昼食の機内食を摂り終え、作曲実践に入る前にいくつか書き留めておくべきものを書き留めておこうと思う。

成田からヘルシンキまでのフライト時間は10時間ほどなのだが、昼食を食べ終えた頃にはすでに残り七時間ほどとなっていた。これから残りの時間は文章を書き、作曲をすることに充てようと思う。

欧州に近づくにつれて、曲中の転調と同じように、徐々に心身の調を変えていく必要がある。つまり、これから徐々に日本語空間から英語空間に身心共に調節をしていく必要がある。

存在を英語空間に調節するためには、英文日記を書くことが有益だろう。徐々に思考を元の英語に戻していく。 飛行機に乗ってからの三時間ほどは、存在の奥底に沈み、地面から跳ね上がるような感情があった。存在の基底に触れるというよりも、存在の基底に打ち付けられ、そこから激しく生を燃焼させようとする気持ちが起こるという現象に見舞われた。

私はどこか、今回を機にしばらく日本には戻らないことを知っていたかのようであった。そのことについては誰にも言っていない。

なぜなら、私自身もそのような決断に踏み切るとは思ってもいなかったからだ。だが、よくよく考えてみると、生活拠点を今後長く国外に置くことを以前に決心していたことは、今回の決断の伏線になっていたような気がするのだ。

日本のそばで日本に関与したいという思いが激しく、激しく、激しく、激しくなるほど、日本に物理的に近づいては決してならないという思いが、強く、強く、強く、強く起こる。

物理的に日本に触れるという甘えを捨てなければならない。いや、それを捨てるだけではもはや足りないのだ。

日本に物理的に接触しようという甘えを内側の世界の中で焼き尽くす必要がある。私はそれほどまでに、精神的に日本に近づきたいのだと思う。

精神的に母国に触れ、日本と自己の存在が一つになることを本当に心から望んでいるのだと思う。そのためには、やはり今回をもってして、しばらく日本を訪れないようにする必要がある。

よほどの事情がない限り、母国の大地に足を踏み入れてはならない。今の自分はまだ日本に帰っていいようなところにいなかったのだ。今回の一時帰国をもって、それを強く実感することになった。 活動する涅槃として生きること、この世界に関与し続ける涅槃として生きること。今日この瞬間からそのように生きたい。

人はいつからでも出発できる。それをある人は「やり直し」と表現するかもしれない。

だが、私はそれを「出発」と呼ぶ。今日から、この瞬間からまた新しい出発をしたい。

人間は誰しもそれができる。いついかなる時でも、人は新たに出発できるのだ。

日本にしばらく戻らないという決断もまた、新しい出発の誓いなのだ。ロシア上空:2018/1/6(土)15:06

No.614: Practice of Fugue

I’ll practice the technique of fugue based on Bach’s music scores.

Although I applied the technique yesterday, I still have several questions about fugue.

Since I haven’t received a text of fugue yet, I have to extract some patterns and laws from actual music scores that utilize the technique of fugue.

The aim of today’s practice is grasping how to create the last part of fugue.

Because I understood a part of the principle about how to connect various melody lines in a fugue, I’ll focus on how to end music. Groningen, 06:29, Tuesday, 1/9/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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