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1975. 予期せぬ最後の瞬間


ホテル日航成田に到着し、今は自室でこの日記を書いている。部屋の窓から外の景色を眺めると、運命的かもしれないが、昨年泊まった部屋とほぼ同じ場所のような気がする。

このようなこともやはり起こり得るものなのだ、と改めて人生の運命的な不思議さについて思う。

品川から成田空港のターミナルまで「成田エクスプレス」を活用し、その乗車中に、再来週に行われるポスタープレゼンテーションのPPT資料を作成することができた。一人当たり15分以内の時間を用いて、自分の研究について紹介するプレゼンテーションが再来週に控えている。

これまで一度もポスタープレゼンテーションをしたことがなかったので、その資料作りにどれほどの時間がかかるか読めなかったが、PPTスライド一枚に研究内容をまとめることはそれほど難しいことではなかった。

品川から成田空港までの一時間を活用し、無事に資料のドラフトを作成することができた。数日前に研究アドバイザーのミヒャエル・ツショル教授に送った研究計画書のフィードバックが返ってきたら、こちらのプレゼン資料に手直しを加えたい。 新幹線に乗っている最中にも感じていたが、とりわけ品川から成田空港に向かう列車の中で、日本の過密な人口密度について考えていた。窓の外から景色を眺めると、居住用の家や商業用のビルが所狭しと密集している。

空間的にゆとりのない景観を眺めながら、こうした過密な人工密度が日本人の身体と精神に少なからぬ影響を与えていることを知る。空間と時間が密接な関係を持っているのであれば、空間的なゆとりと時間的なゆとりとは関係し合っているのではないだろうか。

おおらかな心は、ゆとりのある空間スペースを基盤にして生まれるような気がしてならない。空間的な広がりと時間的な広がりは相関関係があり、それらは心の広がりとも関係してくるのではないだろうか。

時空間的に異なる様々な場所で生活をしてみると、その仮説にはどうも妥当性がありそうだと思う。 成田空港が近づいてくると、私は、人間にとって最後の瞬間がいつやってくるかわからないという事実と向き合っていた。私たちは、本当に最後の瞬間がいつやってくるのかわからないのである。

それは私たちの人生を含め、動植物の命もそうであるし、その他の出来事に関しても当てはまる。最後の瞬間は、予期せぬ形で突如としてやってくる。

どんな手段を用いようが、完全には予期できない無数の事柄がこの世界には存在しているのだ。そんな当たり前の事実を改めて考えてみると、人生の諸々の事柄に対して神妙な気持ちになる。

それは恐れというよりも、畏怖の念に近いかもしれない。この瞬間にも、私たちには予期できないことがこの世界の至る所で起きている。

そのようなことを考えていると、成田空港に到着した。このような思念が浮かび上がったことも、私には予期できないことだった。成田:2018/1/5(金)17:53

No.612: Study of Fugue

I tried to apply the technique of fugue today.

The application of fugue was quite challenging to me because of my present knowledge and skill.

Since I hadn’t received an ordered book about fugue yet, only what I could do was to refer to Bach’s music scores.

I was able to grasp a tiny part of the theories of fugue.

The composed work would be the first step to learn fugues. Groningen, 18:43, Monday, 1/8/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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