朝食後、再び複雑性科学と音楽の関係性に考えが及ぶ。特に、「カオスの縁」と曲の関係について少しばかり考えていた。
カオスの縁とは、秩序と混沌が絶妙な調和をなしている領域のことを指す。作曲に際して、曲が見事に展開されていくのはもしかすると、カオスの縁に曲がある状態なのではないかと思う。
曲の流れが静的すぎる場合には、曲は固着化してしまい、変化が起こりにくくなる。一方、曲の流れが動的すぎる場合には、曲が崩壊してしまう危険性をはらんでいる。
ふとこれまでの作曲理論の解説書を思い出してみると、「作曲において重要なのは、均一性と多様性という相矛盾する特性である」という記述があったことを思い出した。まさにこの記述は、作曲におけるカオスの縁のことを指しているのではないだろうか。
これまで複雑性科学をそれとして単体で学ぶか、発達科学との関連性で探究を進めてきたが、今突如として音楽との関係性が見え始めている。複数の学術領域を越境し、それらが相互作用をし始めている姿を見ることができる。
これから作曲実践を進めていくにあたって、複雑性科学の知見は大いに役に立つだろう。ここから私は、自分の作曲実践に仏教思想を取り入れたいとも考えている。
それら多様な領域が相互作用をなし、実践上の相転移を起こすことを大いに期待している。 上記の考えを書き留めた後、再び午前中に取り掛かっていた本を読み始め、そこからさらに、「複雑適応系」と作曲について考えていた。
複雑適応系とは、複雑な振る舞いを見せながら環境に適応していくシステムのことを指す。作曲において複雑適応系とはいかなるものであるかについて考えを進めていた。
例えば、ハーモニーはメロディーを包摂しながら全体としての調和を生み出していく。ハーモニーというのは、メロディーを環境として、それに適応して生み出されるとも言えるだろうし、既存の和声に応じて新たな和声を生み出していくことから、和声自身を環境として生み出されるものだとも言える。
メロディーに関しては、仮にメロディーから曲を生み出していく場合には、一見すると作曲空間の中では環境に該当するものを見出すのは難しい。しかし、ハーモニーと同様に、一つの音符を起点にして生み出されるメロディーは、既存のメロディーを環境として適応していくことによって、メロディーを発展させていくと考えることもできそうだ。
さらには、作曲空間をより開かれたものとして捉えると、まさに作曲者が置かれている物理的環境や、その時の心身の状態なども環境に該当する。メロディーは、それらの環境に適応する形で自らを生成していく。
複雑性科学の観点を用いて作曲を捉えていくと、次々に新たな発見と気づきがもたらされる。今後も折を見て、複雑性科学の観点を活用しながら作曲実践を捉えていきたいと思う。山口県光市:2018/1/2(火)09:34