元旦に引き続き、今日も朝日が美しい。その輝きは、どこなく日本的なものを香らせている。いつかこの輝きを曲にしたい。そんな思いを喚起してくれる朝日である。
おそらく、この朝日のだいだい色の輝きを言葉で表現するよりも、様々な音色で奏でていく方がより正確な表現が可能なのではないかと思う。特に、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェルなどの、フランスの作曲家の技法を参考にすれば、この朝日の輝きの感動と質的差異を曲として表現できるのではないかという期待がある。 昨日は七冊ほど作曲関連の書籍をイギリスのアマゾンに注文した。それら全ては私の今後の作曲活動に不可欠なものとなるだろうが、とりわけフーガの技法に関する書籍は重要になるだろう。
私はまだ、複数の旋律を組み合わせていく技術を何一つして持っていない。もちろん、対位法やハーモニーについては先日から少しずつ学習を始めているため、フーガの技法につながる発想をすでに学んでいるかもしれないが、本格的にフーガについて学んだことはない。
今この瞬間に、幾つかの意味段落を持つ文章が複数走っているように、作曲においても同様のことができるようになりたいと思う。複数の音を美しく奏でるハーモニーの技術に関して、チャイコフスキーの書籍の中で取り上げられている具体例に昨日も感動をした。
「ハーモニーの技術を高度に習得すれば、このような美しい音楽を創出することができるのだ」という静かでありながらも私の心を大いに動かす感動だった。 購入した書籍の中では、とりわけドビュッシーが執筆した音楽に関する美学の書籍が楽しみである。当初は、哲学者が執筆した美学の専門書を購入しようと思っていたのだが、作曲家自身が展開する美学思想の方が今の私には魅力的に映った。
当然ながら、いつか私は哲学の領域として美学を探究したいと思うが、今は作曲という実践を通じて美学を探究したいと思う。哲学者が音楽に関する美学を扱う観点やアプローチと、作曲がそれを扱う観点やアプローチは異なると思うのだ。
今はとにかく、本来は哲学の一領域である美学を、あえて哲学の領域から探究していくのではなく、偉大な作曲家の思想をもとに、自らの作曲実践を通じて探究を深めていく。 七冊の書籍を購入した後、エバーノートに保存されている書籍の購入リストを再度眺めた。すると一冊ほど、未購入の興味深い書籍を見つけた。
それは、ハーバード大学教育大学院のハワード・ガードナー教授の “The Arts and Human Development: A Psychological Study of the Artistic Process (1973)”という書籍である。
本書は、芸術と人間発達をテーマにしており、まさに今の私の関心と完全に合致している。本書の目次を再度確認した上で、私は迷わず本書も注文した。
私の関心は、芸術を通じた人間発達へとますます向かっていく。その前に購入した七冊の書籍の中、一冊はベートーヴェンの霊的発達を扱ったものであるから、やはり私は人間発達に対する多大な関心を今でも持ち続けているようなのだ。
今年からは、人間発達と芸術の領域を架橋するような試みに乗り出していく。なぜだか今の心境は、燦然と輝く新春の朝日のように光り輝いている。山口県光市:2018/1/2(火)07:53
No.598: The State of My Consciousness
I arrived at Shinagawa station. I’m on a train bound for Narita Airport.
The current state of my consciousness is meditative. Whatever I do in any moment, I’m in the meditative state as if I were meditating.
Living in this reality is inherently meditating; or meditating is intrinsically living in this reality.
Probably because this train is for Narita Airport, there are many foreign passengers speaking various languages.
Interestingly enough, once I listen to English, that sounds euphonious for me as if it is like a lullaby. Shinagawa, Tokyo, 15:32, Friday, 1/5/2018