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1959. 抱負から始まる豊富な日々


新年を迎えての二日目が始まった。気がつけば、日本に滞在する期間もあと少しとなっている。

日々が瀬戸内海の波のように静かに淡々と過ぎ去っていく。「淡々」という言葉に否定的な意味はない。

日々が瀬戸内海の海水のように透明でいて、内在的な深さを持って進行しているという意味である。今朝も相変わらず、少しばかり立ち止まって、今日一日をどのように過ごすかについて考えていた。

そして、それを文章の形に残しておく。日々このようなことをしているが、ふと気づけば、それは毎朝新年の誓いをしているようにも思える。

その年一年の抱負を述べるのではなく、その日一日をいかに過ごすかについて、私は毎朝無意識的に考えているようなのだ。そうした考えが生まれる出発点は、無意識の世界に存在しており、もはやそれは習慣だと言えるだろう。

日々を新たに生きようとすること。そうすれば、実は日々に古さも新しさもないことに気づき、そこにあるのは「一人の人間の日々」というありのままの一日であることに気付くだろう。 今日は午前中に、複雑性科学に関する哲学と心理学におけるダイナミックシステム理論の専門書に目を通す。こちらの二冊は和書であり、二年前に一読をして実家に置いておいたものである。

今回もそれらを欧州に持って帰る予定はないため、どのような内容が書かれていたのかを思い出しながら再読を行いたい。それら二冊の書籍を読み終えたら、福永武彦氏の一連の全集のうち、どれを欧州に持って帰るかを吟味する。

普段私は一切小説を読まないのだが、福永氏の小説には大きな魅力を感じている。それはもはや、「魅力」と形容していいものかわからないぐらいである。

端的に述べると私は、福永氏が作品に込めた思想に多大な共感の念を持っているのだと思う。福永氏の思想の鍵を握るのは、「孤独」「愛」「死」「芸術」である。

それら四つの観念は、もはや観念を超えて実存的な意味合いを帯びる形で私の日々の生活に入り込んでいる。 福永氏の全集のうち、10冊ほどを以前に購入し、それが今実家に置いてある。今日はこれから、どの全集を欧州に持って帰るのかをまず吟味したい。

それが終われば、今月末から本格的に開始する新たな研究の計画書を、研究アドバイザーのミヒャエル・ツショル教授に送る。新年早々から自分の研究に付き合ってくれるツショル教授には感謝をしなければならないだろう。山口県光市:2018/1/2(火)07:21

No.597: Unpredictable Our Life

We never know when something ends in our life.

The moment could be now or could be in future. Even if it is close to the present moment, we never know the exact moment.

We cannot foresee the unpredictability. Our life is saturated with such unpredictability.

In other words, our life is intrinsically unforeseeable. Shinagawa, Tokyo, 15:26, Friday, 1/5/2018

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