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1958. 霊的進化と神々の業


新年を迎えての初日も終わりに近づきつつある。夕食前にまた一つ日記を書き留めておきたい。夕方前の散歩の際に、音楽と意識との関係について考えていた。

音楽は意識内で生起する現象であるから、意識の特性について深く理解することが重要だという気づきを得た。その気づきを起点にし、それではどのような音楽が認識の牢獄から私たちを解放してくれるのだろうか?

また、どのようにすればそのような音楽が作れるのか?という問いがやってきた。人間の意識の特性を深く理解すればするほどに、音楽が意識に及ぼす作用に関する理解もまた深まっていくだろう。

米国の大学院に留学中は、まさに人間の意識の特性について探究を進めていたが、今日改めて、音楽の観点から意識の特性を考察していきたいと思うようになった。 今の自分には、これまで開いたことのなかった音楽的感性の引き出しが存在しており、それは他者においてもそうだろう。そうした感性を開き、さらなる成熟に寄与するような音楽をいつか作ることができれば幸いだ。 音楽の歴史を紐解いてみると、音楽は人間を霊的に進化させるために生まれたものなのではないかと思うことがある。実際に各種伝統宗教では音楽が活用されていることからも、音楽が人類の霊的発達に寄与していたことは疑いがないのではないかと思う。

しかし、この現代社会において、現代に生きる私たちを霊的に進化させてくれるような音楽というのは、伝統的なもの以外の要素が求められているように思えて仕方ない。

当然ながら、霊的作用をもたらす普遍的な音楽も存在しているだろうが、音楽も時代に根ざされたものであるならば、現代社会に固有の課題と向き合い、それを乗り越えるために生み出される音楽があっていいように思える。

もしかしたら、すでにそうした音楽も存在しているのかもしれない。このあたりについてもさらなる調査を進めていく必要がありそうだ。 もう一つ本日得られた興味深い発見として、音楽の語源は「神々の業(わざ)」だということを知った。神々の戯れとして発せられる音を媒介・伝達するような役割を担うことの大切さ。

今この瞬間に、凛とした瀬戸内海から聞こえる音も、きっと神々の戯れとして鳴り響いているに違いない。静かな波の音がこの世界に静かにこだましている。山口県光市:2018/1/1(月)18:21

No.596: Resignation

I left my hometown toward Narita.

I don’t have a specific feeling but have resignation. It can be expressed as music with no keys.

Chopin expressed his various feelings as music, and I’m curious about how he would have composed music to represent my present feeling if he had been me. Hikari, Yamaguchi, 11:08, Friday, 1/5/2018

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