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1952. 誰かのためではなく誰のためでもない形で


小さなお題を自らに課し、それを曲で表現するということを行っていきたい。穏やかな瀬戸内海を眺めていると、そのようなことを自然と思う。

葛飾北斎が波を主題として、波を何度も描き続けたように、同一主題を繰り返し曲として表現していく。その実践の継続により、自らの思想の変遷と技術の高度化の過程を眺めたい。 文章の巧拙や作曲の巧拙など関係はなく、大事なことは技術的な事柄に還元することはできない。その人が一人の人間として何を考え、何を思い、どのように生きているかが尊いのであって、それを形にしていくことが何よりも大事なのだ。

人はよく、諸々の理由から表現をためらう。その一つには、自分の技術が稚拙だからというものが挙げられる。そのような理由で表現することを諦めてしまうことは実にもったいない。 一人の表現者として自分にできることは何かを考える。考えれば考えるほどに、できることなどほとんどないことがわかる。

私にできることは実にシンプルなのだ。一人の人間として日々を懸命に生きることを通じて、それを文章と曲の形で日記のように残していくことだけなのだ。

おそらく本当に、自分にできることはそれしかない。それは一体誰のためになされる行為なのだろうか?

正直なところ、これは自分のためでも、人のためでもない。「誰かのために」ということを超越して初めて、それは人類のためになる。

偉大な芸術家に対して、その作品は誰のためのものかと尋ねる時、おそらく「誰のためでもない」という回答がなされるのではないだろうか。誰のためでもない作品は、万民のためとなる。

極めて私的な日記というものが、万民のためのものに変貌を遂げていく道を模索していく。誰かのためではなく、誰のためでもない形で、私は今後一生涯、文章と曲を書き続けたい。山口県光市:2017/12/31(日)09:21

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