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1948. 光と存在


日本の朝日。今この瞬間に、山の陰から真っ赤な朝日が顔を覗かせ始めた。

今目に映る朝日は、どんな名画よりも美しい。それは生きた絵画作品だと言ってもいいだろう。

光。今、真っ赤に輝く朝日が発している光は、息を呑むような美しさである。

いや、その光は私という存在を浄化し、光に帰らせる。存在は光だったのだ。

そのようなことをふと思わせる。絵画の巨匠たちが、こぞって光の描き方を探求したこともうなづける。私たちは光だったのだ。 朝日を浴びながら、私は昨日の夕食時の父の話を再び思い返していた。芸術や人間の生に関する話題である。

父と私が、同じ地平の形而上学的思想を持っていることは何かの偶然なのだろうか。それとも、それは親子だから必然だと言えるのか。

いずれにせよ、芸術や人間の生について、父と私は同じ次元の思想を持っていることは疑いようのないことである。 今日もこれから作曲実践に取り組むが、昨日は、実践を通じて学ぶことの意義を改めて父から学んだ。実践を通じて探究を深めていくことは、これまで再三にわたって日記に書き留めているし、下手をすると毎日そのことに言及している。

だが、昨日私を動かしてくれたのは、絵画の制作に関する父の実際の経験談であった。私は父にあれこれ質問し、父の経験からできるだけ多くのことを得たいと思った。 父は私に、「今の洋平の文章宇宙と音楽宇宙には大きな隔たりがあるかもしれないが、10年後、20年後にはどうなっているかわからない」という言葉をかけてくれた。その言葉は、一つ大きな励みとなった。

私もすでに、両者の宇宙に大きな隔たりがあるのを知っている。なぜなら、作曲に関しては数ヶ月前に一から始めたばかりだからである。

今後、二つの宇宙はどのような変貌を遂げるのだろうか。日々を生きる中での継続的実践。日々が実践となり、実践が日々となる。

私にできるのはそれだけかもしれない。そうした日々を過ごす過程の中で、徐々に自分の思想が深まり、それが文章や音楽に現れてくれればと思う。文章や音楽というのは、存在の顕れなのだ。 今でなくていい。いつか、いつか必ず、今目に映るこの朝日を音楽として表現したい。山口県光市:2017/12/30(土)07:53

No.593: Music Composition as Creative Problem Solving

Music composition is creative problem solving. Whenever I compose music, I always face a new problem.

This is not only because I don’t have sufficient knowledge and skills but also because music composition has the nature of intrinsic self-organization.

Because of the characteristic, even professional composers probably confront an unseen problem whenever they compose new music.

This implies that music composition inherently contains an aspect of creative problem solving. Hikari, Yamaguchi, 07:20, Thursday, 1/4/2018

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