今日の瀬戸内海はとりわけ穏やかだ。風が強くなく、静かな波が岸辺に寄せては返す。
岸辺に打ち寄せる波は、一つとして同じものがない。一回限りの波が延々と岸に打ち寄せる姿を眺めていると、どこか感慨深いものがある。
波は一回限りの現象でもあり、同時にそれは永遠を体現している。それはどこか、人間の一生と同じであるように思える。
今私は、たった一回限りの一つの波が永遠のものとして存在していることの奇跡を目の当たりにしている。今日のように晴天に恵まれると、バルコニーから瀬戸内海を眺めた際には四国が見えることがある。
外は少し冷えるため、今は食卓の開放的な窓から瀬戸内海を眺めている。四国の姿がうっすらと地平線の向こう側に見える。 一艘の舟が岸から沖へと向かっていく姿を先ほど見た。きっと釣りにでも出かけるのだろう。
沖へ沖へと向かっていく舟を眺めながら、どこかヘミングウェイの小説作品を思い出した。また、父は引退をしたら小さな舟を新たに購入すると述べていたことも思い出した。
引退後、室内では創作活動と読書に打ち込み、時折瀬戸内海へ船で釣りへ出かける父の生活は、きっと充実感に満ちたものであり、幸福なものになるだろう。
すでに私は似たような生活をしているかもしれないが、大自然と毎日触れ合う機会というのは、今後の私の人生においてしばらくないかもしれない。そのように考えると、今目の前に映っている穏やかな瀬戸内海を思うままに船上で味わうことができるというのは、本当に恵まれていると思う。 雄大な瀬戸内海を眺めていると、それがどんな絵画の名作よりも美しいものであることがわかってくる。見ていて全く飽きることのない景色。
見れば見るほどに、心が浄化され、寛大な気持ちにさせてくれるこの眺め。耳を澄ませてみれば、波が岸辺に打ち寄せる音を聞くことができる。
昼食を摂り終え、これからまた読書に取り掛かり、実家にある電子ピアノを用いながら作曲理論の学習を進めていこうと思う。ちょうど母は今、友人と共にピアノ教室に通っており、電子ピアノを自由に使うことができる。
仲の良い友人とピアノ教室に行き、その後に反省会を兼ねてランチを共にしてくるそうだ。何かしらの実践を継続させていく際に、実践仲間を持つことはとても大事だろう。
小さくても実践コミュニティーを持ち、長きにわたって実践を続けていくのは、まさにサンガの意義だと言える。私は、学術研究においてはサンガを持っているが、作曲実践に関してはまだサンガを持てていないことに気づく。
波の音に耳を傾け、平穏雄大な瀬戸内海をぼんやりと眺めていると、いつかきっと作曲に関しても、世界のどこかにいる良き実践仲間と出会えるような気がしてくる。2017/12/28(木)12:51
No.586: Departure and Approach
While I was reading a book about counterpoint that is written by Joseph Fux, I noticed that I was esurient of the English symbolic world.
It has passed more than two weeks since I came back to Japan.
During my winter holidays, I could leave from the conceptual sphere constructed in English.
This vacation gave me the opportunity to depart from English and approach the core of the English symbolic world.
I expect to restart my life in the Netherlands three days later. 11:09, Wednesday, 1/3/2018